2014年6月26日木曜日

7月20日特別礼拝の案内

7月20日特別礼拝の案内

説 教   「今、省みる終戦時・・・『満州国』とキリスト教開拓村の意味・・・」

説教者   石 浜 み か る 氏 ( 作  家 )

聖 書   マルコによる福音書12章28~31節

讃美歌21  2、205、57、426、92

懇談会   礼拝後、講師を囲んでの懇談と昼食(300円)の時間を持ちます。

6月29日の礼拝

6月29日の礼拝案内

説 教   「 和 解 の 手 を 」

説教者   長 尾 有 起 伝道師 (早稲田教会)

聖 書   マタイによる福音書18章21~35節

讃美歌21   21、98、413、398、89


坂町坂だより NO.339



 本文884頁、解説を加えると890頁を超える堂々たる伝記、復刻版『ブゼル先生伝』(著者・栗原基、伝記叢書109、大空社1992年)を10数年振りに手にして、改めて読み直している。原本は1940年、昭和15年に発行された限定500部のものである。栗原基氏は旧第三高等学校(現京大の前身)教授であったが、その栗原氏の大変な労力と、それを支えたブゼル先生との深い出会いや敬愛の思いがなければ到底成し遂げられなかったに違いない。膨大な資料と書簡類、また日米の関係者の証言とたくさんの人々の思い出など、収集整理するだけでもかなりな作業であろう。ブゼル先生は1936年(S11年)25日に満69歳で召されたが、死後4年以上かけて発行に至っている。

実は先日、現遠野教会牧師・遠野聖光幼稚園長であるM先生の紹介によって、今秋11月に開かれる尚絅学院「建学の精神研修会」において講演を依頼され、それをお引き受けした。そこでM牧師から復刻版をお借りして読み始めた次第である。予期せぬことであったが、ブゼル先生の後半の生涯を改めて思い起こすことに意味があると思った。

先生は、仙台のミッション・スクール、尚絅女学校の創設期1892年(M25年)に弱冠26歳で米国より来日、初代校長として今日の尚絅の基礎を築かれた。女子教育だけではなく青年にも聖書を教え、そこからは大正デモクラシーの吉野作造、島地雷夢、内ヶ崎作三郎らが受洗し、著者の栗原氏もバイブルクラスの一員であった。更に1920年(T9年)のクリスマスに、54歳で遠野に移住し、翌春に遠野聖光幼稚園を創設されたバプテスト派の宣教師である。

1981年、私の牧師・園長としてのスタートが遠野であり、そこで様々な形でブゼル先生と出会った。もちろん生前にお会いすることはなかったが、晩年を迎えた先生に教えられ、お世話になった方々に出会った。その方々の多くが既に天にある。また神の不思議な導きとしか言えない経験にも与ることができた。日本のかなりの教会、私立大学や女学校、幼稚園・保育園、病院等は、実に数多くの宣教師たちの命を懸けた働きによって基礎が据えられ、今日までの歴史がある。そのことを忘れないために「遠野ブゼル先生物語」を語ろうと準備を始めた。

坂町坂だより NO.338



 良く知られている昔話の一つに「わらしべ長者」というお話しがある。1本の藁を次々に物々交換してゆく日本のおとぎ話ということだが、私の岩手訪問の旅も同じような展開となるのが常である。今回はあの日以来19回目の岩手・被災地訪問、北支区とドイツ語福音教会のために情報収集を含めて、昨年11月以来の訪問となった。

 主たる目的の一つ「献金」以外には数個の四谷名物、それと妻の友人の関係するシーズプロジェクトの「不思議な種」が今回のお土産である。廻った所は6教会、6幼児施設、20数人の友人知人。しかも今回は、30年来の友人K牧師との久しぶりの珍道中。彼は福井県敦賀からボランティアのために、偶然2年ぶりに岩手入りしていた。彼とはかつて同じ地区・同じ学校法人内で12年間の豊かなお付き合いがあった。

 江刺ではO牧師夫妻に迎えられ種を。美味しい手作りのスウィ―ツと亀の子煎餅を頂き、昼食には農家の主婦たちが営む店で「蕎麦」をご馳走になり、そこで蕎麦を4ヶ購入。千厩・大船渡と牧師たちを訪問し種を。夏の準備と情報収集。釜石に入り知己の酒屋に行き蕎麦を2ヶお土産に。飲み物を購入すると、地元の焼酎を1本サービスされた。定宿に向かう途中知人宅で煎餅と蕎麦をお土産に。定宿では仲間と夕食会で懇談、情報交換。四谷土産と種と焼酎を渡す。翌朝知人宅で四谷土産は仙人秘水2本に。前夜友人が持参したお酒と漁師の友人が届けてくれた大小のホタテとホヤを交換。新生釜石教会へは献金と種を届けて共に祈祷会で祈った。大槌町の3つの幼児施設にも種を配り、宮古教会へ。午後の祈祷会でやはり献金をお届し、幼稚園には種を差し上げた。

 夏の交流の旅の下見を兼ねてM牧師、K牧師と3人で夕食を取り、翌朝早く遠野へ。途中友人たちを訪ね、海のものは白菜、どぶろく、米10キロに交換変化。幼稚園に種を届け、岩手地区牧師会で挨拶後、家族と合流予定の新花巻へ。花巻では97歳を迎える反戦平和の歌人M姉を訪問し、歌集のお礼に四谷土産・海のもの・白菜を。歓談し共に平和を祈り、孫1歳の食事会の宿に。米は息子と次女に分け、たくさんの再会の喜びを頂きながら帰路に。友人の真摯な提言、被災地の復興でも再生でもない、「新生」こそが真の課題との言葉を心に刻みながら戻った。

坂町坂だより NO.337



 既に何度も書いてきたことであるが、北支区には連合祈祷会があり、1月を除く年間11回、各教会を会場に提供して頂きながら祈りと交流の会を開催し続けている。内容は前半が礼拝で、信徒の方の証し、牧師の説教、賛美と祈り、その後30分の交流というパターンである。北支区は日本キリスト教団の信仰告白、及び「戦争責任告白」を指針として支区形成に励んでいる。社会的な問題への関心も高く、また取り組んでいる課題も多岐にわたる。その広がりと関わりの深さにいつも感心させられているが、しかし教会は何よりも祈りによって一つにされるという姿勢を重視し、立場の違いを超えて祈り合う連合祈祷会は40数年間途切れることなく続いてきた。11回の内2回は東支区との合同になり、東京教区内の二つの支区が協力して祈りの会を持っている。

 この会は遅くまで交通機関が動いている都会だからできる集会でもある。私は委員でもあり、皆勤ではないが精勤を心掛けている。月に一度他の牧師の説教が聴けること、他の教会の信徒の方の人生に触れられること、支区内諸教会を訪問できること等、自分自身を相対化するうえでとても大きなお恵みである。そして孤立しがちで、自己完結的になりやすい都会の教会にとっても大切なことと感じている。

 今月も趣のある立派な石造りの会堂・本郷中央教会を会場に、金曜日の夜に開催された。説教は目白教会のF牧師、立証がお隣の信濃町教会のM氏であった。M氏は満84歳、住まいは大泉学園町である。毎回杖を片手に参加されている。梅雨入りした東京は大雨と強風の夜となったが、M氏は信濃町教会が独自に取り組んでいる「支援特別委員会通信」を持参され、福島のいわき市から避難されているKさん親子を紹介した鋭く切実な文章を朗読され、今私たちの国で、この東京で何が起こり、何が進行しているのかを直視し耳を傾け続けるように、福島の子どもたちの未来への祈りに応えるようにと静かに強く訴えられた。

 それにしてもM氏のような高齢の方々がこれまでの教会を支えて来られたのだ。我が教会でも1時間半~2時間という遠方から通う90歳前後の方々がおられる。その真摯な姿勢こそ立派な証しであり、多くを学ばせて頂いている。健康が守られますようにと心から祈りたい。

坂町坂だより NO.336



 久しぶりに「本」を読み始めた。毎週の説教準備のために、何冊もの専門書や説教集、関連する注解や論文を読むことは基礎的作業として続けている。その意味では活字から離れていた訳ではない。しかししばらく前に、知人の書いた書評から関心を持って購入、一気に読了しこの欄でも紹介したうえ、更にクリスマスイブの礼拝で思い入れも強く紹介した1冊があった。それが全くの詐欺的な捏造であり、クラシックの話題曲も別人が作曲していたという事件があった。正直に言って少々ショックを受け、しばらく「本」を読む気にならなかった。

しかしどこかでリハビリしなくてはいけないので、お隣のW教会のK牧師が書いた書評から、気を取り直して読み始めた。それは赤坂憲雄氏の『震災考 201132014.2』(藤原書店)という本である。K牧師に連絡し、彼は読み終わっているであろうから、それを借りてきて読み始めたという次第である。

 赤坂憲雄氏は現在学習院大学文学部教授であるが、私とは同年である。赤坂氏の若い日に私も遠野で何度かお会いし、お話しを伺ったことがある。民俗学の研究が専門で、「遠野常民大学」の中核となった友人などと一緒に地道な活動を続けておられた。大変穏やかな人柄であるが、その東北への深い洞察、歴史と文化への切り口は説得力がある。1999年には責任編集による『東北学』を創刊し、その他にも一般社団法人「ふくしま会議」代表理事、福島県立博物館館長、遠野文化研究センター所長などの役職を担い、誰よりも深く東北を愛する人物の一人である。

 その彼もあの「311」直後の1週間、全く言葉を失っていたという。「東日本大震災が起こってから、わたしはしばらく言葉というものを失っていた。語るべき言葉など、どこにもなかった。空っぽだった・・」と正直に書き始められているこの本は、時系列で並べられた彼の言葉の回復の記録でもある。今・この時の世界的潮流と、日本国内の異端排除とも言える諸症状、政治的な体制翼賛会化などを踏まえながら、東北から、これまでも踏みにじられてきた弱者の視点から、この国の30年後、50年後の社会全体をデザインする、生存を懸けた新たな自由民権運動として位置づけ、復興ではなく東北の再生を目指す1冊である。

坂町坂だより NO.335


 
 20109月、北支区の常任委員会4役と信濃町教会長老T姉、当教会H長老の6名を案内し、レンタカーのワゴン車を駆って一路北を目指した。23日の奥羽教区・岩手地区の教会訪問の旅であった。東北道・岩手路と運転を交替しながら無事一関教会に。更に千厩教会、気仙沼の畠山さんを訪問。陸前高田で休憩し、大船渡教会、新生釜石教会で交流。遠野・日詰・江刺の各教会を廻り、一気に南下し東京に戻った。その帰路2度目の奥羽との交流は六ヶ所村の核燃サイクル施設を訪ね、原子力問題について学ぶことが課題であると話された。
 半年後、かの地を大津波が襲い多くの人命を奪い、生活の根底を根こそぎ呑み込んでいった。さらに原発事故の恐怖は列島全体を覆い、立てつづけに爆発する原子炉の姿と拡散する放射能、その汚染の深刻さと混乱は、暗く深い闇が足元で口を開けたことを実感させた。岩手沿岸の被害情報の収集と原発事故の報道。岩手の関係者などが集まっても来た。精神的にも追い詰められた時期だった。混乱と不安の中で誰もが動揺していたが、1週間後の18日北支区の仲間12人が大震災に対処すべくこの千代田教会に集まってきた。真剣な協議と対応の方向性を祈りつつ確認し、教会の信仰の内実が問われていると感じていた。
 あの日から北支区東日本大震災被災支援特別委員会は回を重ね32回目が当教会で開かれた。釜石から移植したバラが満開を迎えている時期、ついでに「復活のワカメ」のワカメごはんに酢のもの、茎ワカメの炒め物も用意して迎えた。委員会の組織は小さいが小回りが利き、人と人とが出会い繋がれる関係を目指し、ニュースも11回発行。主旨に賛同した諸教会の尊い献金が、奥羽教区を通して岩手沿岸の被災教会へ経常会計支援として送られた。また幼児施設の支援にも。更に福島の原発被害の教会支援、福島の幼児施設への飲料水支援等々、いつも丁寧に謙虚に関わり、何度も具体的に足を運び続けている。その熱心さと誠実さに対しては、岩手との間を繋いだ者として本当に頭が下がる思いである。
 夏には6回目の岩手訪問の旅、また秋には宿題であった六ヶ所村の核燃サイクル施設や建設中の大間原発訪問が企画され、かの地の方々との出会いと交流計画が、篤い祈りの中で準備されている。
 

 20109月、北支区の常任委員会4役と信濃町教会長老T姉、当教会H長老の6名を案内し、レンタカーのワゴン車を駆って一路北を目指した。23日の奥羽教区・岩手地区の教会訪問の旅であった。東北道・岩手路と運転を交替しながら無事一関教会に。更に千厩教会、気仙沼の畠山さんを訪問。陸前高田で休憩し、大船渡教会、新生釜石教会で交流。遠野・日詰・江刺の各教会を廻り、一気に南下し東京に戻った。その帰路2度目の奥羽との交流は六ヶ所村の核燃サイクル施設を訪ね、原子力問題について学ぶことが課題であると話された。

 半年後、かの地を大津波が襲い多くの人命を奪い、生活の根底を根こそぎ呑み込んでいった。さらに原発事故の恐怖は列島全体を覆い、立てつづけに爆発する原子炉の姿と拡散する放射能、その汚染の深刻さと混乱は、暗く深い闇が足元で口を開けたことを実感させた。岩手沿岸の被害情報の収集と原発事故の報道。岩手の関係者などが集まっても来た。精神的にも追い詰められた時期だった。混乱と不安の中で誰もが動揺していたが、1週間後の18日北支区の仲間12人が大震災に対処すべくこの千代田教会に集まってきた。真剣な協議と対応の方向性を祈りつつ確認し、教会の信仰の内実が問われていると感じていた。

 あの日から北支区東日本大震災被災支援特別委員会は回を重ね32回目が当教会で開かれた。釜石から移植したバラが満開を迎えている時期、ついでに「復活のワカメ」のワカメごはんに酢のもの、茎ワカメの炒め物も用意して迎えた。委員会の組織は小さいが小回りが利き、人と人とが出会い繋がれる関係を目指し、ニュースも11回発行。主旨に賛同した諸教会の尊い献金が、奥羽教区を通して岩手沿岸の被災教会へ経常会計支援として送られた。また幼児施設の支援にも。更に福島の原発被害の教会支援、福島の幼児施設への飲料水支援等々、いつも丁寧に謙虚に関わり、何度も具体的に足を運び続けている。その熱心さと誠実さに対しては、岩手との間を繋いだ者として本当に頭が下がる思いである。

 夏には6回目の岩手訪問の旅、また秋には宿題であった六ヶ所村の核燃サイクル施設や建設中の大間原発訪問が企画され、かの地の方々との出会いと交流計画が、篤い祈りの中で準備されている。

坂町坂だより NO.334


 

 女性の全く新しい視点から聖書を読み解く取り組みを続けておられるY先生の著書の中に、宇宙に関する記述があり、子どもの頃からプラネタリウムで星を見るのが好きであったこと、宇宙は偶然にできたのではなく、「この世界を超えた存在、それも、ただ超越して無関係に存在するということではなく、関係性を持つ存在、その存在を私たちはひとまず『神』と呼びますが、この宇宙は神が素晴らしい叡智をもって創られたに違いないと思えました」と記している。私も同じような感覚である。宇宙について考えることやハッブル宇宙望遠鏡等が撮影した感動する程美しい宇宙の姿を見ることが大好きで、毎晩眺めてから眠っている。

 先日もTV番組で超新星「1987A」について詳しい解説がなされ、ハッブルの本などで知っていた事柄を改めて分かり易く教えられ、超新星爆発について理解を深めることができた。南半球に見える大小のマゼラン雲は、私たちの銀河の伴銀河として知られているが16万光年ほど離れている。そのなかで1987年に超新星爆発が起こった。最初に見つけた若者が観測を始めて3日目だったとか、この爆発によって飛び出した素粒子「ニュートリノ」を発見し、ノーベル賞を受賞した小柴教授は退職を1か月後に控えていたというエピソードも面白かった。元の星は太陽の20倍の質量の星でしかも青い星が爆発したことの謎の解明、ニュートリノ到着から3時間後に爆発によって星が輝きだしたことの時差の意味など。実際の爆発は16万年前になるわけだが、その更に2万年前に連星が膨張した主星に呑み込まれるように合体し、その衝撃で吹き飛ばされていったガスが、爆発から「25年後」に3重のリングとして輝きだしていること。超新星爆発が鉄よりも重い元素を爆発によって生み出すことは知られているが、1987Aの周囲の宇宙空間には地球約20万個分の「チリ」が漂っていることなどを知った。

 太陽も46億年前に宇宙に漂う「ガス」から生まれ、地球も「チリ」が集まって誕生し生命を育む星となった。私たち人間はこの星の上でしか生きられない。しかしその星の上で今も対立や戦争を繰り返し、不信と憎しみを再生産し続けている。神の創造の秩序にもっと謙遜になり、キリストの平和の歩みを共にと祈り願わずにはいられない。

坂町坂だより NO.333



 山谷のお弁当屋「まりや食堂」に通い出して5年目になるが、伝道所の会員で食堂のスタッフの一人でもあったN兄が体調を崩し、更に他の症状もあって最近は食堂作業からは外れている。そのN兄の健康維持のために、祝日の投薬支援ボランティアを頼まれた。日曜日と週日は何とかなるのだが、祝日が手薄なのだという。GW5日の夕方4時に山谷の通称「ドヤ」の彼の個室に出かけ、わずか10ccほどの飲み薬を冷蔵庫から取り出して、確実に飲んで頂くという作業である。清潔そうなドヤを詳しく観察するほどの時間もなく、ほんの数分の訪問であった。

 そのためだけに一日を使うのは流石にもったいないので、妻と二人で埼玉方面の日帰りの旅に。朝リックを背負い、四谷から新宿そして大宮へ。大宮から東武野田線に乗って途中下車。兄が4月から赴任したN教会を訪ねて表敬訪問。教会を見学してから、主目的地であった春日部市のイベント「大凧揚げ大会」会場を目指した。春日部駅では情報不足から藤の季節が終わっていたり、駅の反対側に出るのに入場料を取られたり、無料送迎バスではなく有料で450円の臨時路線バスに乗ることになり、それが渋滞にかかったりと四苦八苦。やっと会場に着いたが、戻りの時間に追われて駆けるように広い会場の端から反対の端まで大移動。わずかに会場の群衆と「小凧・中凧」の揚るのを横目で見ながらシャトルバス乗り場へ。100円で野田線の駅まで移動。そこから2駅戻って春日部駅に。そして各駅停車に乗って南千住駅まで。妻と別れて、当初の目的であったドヤへと一人向かった、次第・・。
 
 ところでイースターに蒔いたゴーヤの種が可愛らしい芽を出し始めた。30ヶのポットの半分ほどに双葉が出ている。昨年のゴーヤの種から芽生えた「種からゴーヤ」、実は34年のものも混じっている。ともかくこの種からの芽を立派な苗に育てプランターに移す。さらにネットにはわせて茂らせ、再びの収穫を目指す。例年150本以上の収穫が目標。そのために昨年の古い土を「篩」にかけてきれいにし、苦土石灰を加え黒いビニール袋に入れて熱殺菌中。今後は再生材と肥料を混ぜ、プランターを準備して苗を植える予定。7月海の日の草取り作業日にはゴーヤチャンプルーが食べられるように、これから日々のお世話が大切だ。

2014年5月10日土曜日

坂町坂だより NO.332



 GWの後半は3日の「憲法記念日」から再スタートである。天気予報では好天が続くとされているが、現実の「日本国憲法」を取り巻く環境は暗雲が垂れこめているような状態である。

3日の朝日新聞では大きな紙面を割いて、憲法を取り巻く諸状況を丁寧に取り上げている。現政権の集団的自衛権容認の問題、9条の平和主義の理念、その他様々な問題を提示し、分かり易い解説も掲載されていた。その一つが「一からわかる立憲主義」という頁である。立憲主義の意義と役目は、①権力者も憲法に従い統治、すなわち権力者を縛ることだ。②憲法で権力を分立させ人権を保障。国家権力を集中させないこと。③多数決だけで人権を守れない恐れがあるので、多数決で決めてはならないことを憲法で線引きし、少数者の人権を守る。ということを歴史的にも検証している。自民党の改憲案や現政権の発言などは、これらの大事な諸原則を意図的に否定し破ろうとしているように思える。

 ところで上の③の少数者の人権では、最近の国内状況はとても憂慮すべき事態が増大しているように思われる。具体的には「差別」の問題だ。差別は私たち自身の内側にも存在する事柄である。その内なる差別体質を正直に受け止めながらも、どうしたら差別という「隔ての壁」(エフェソ2:14)を克服し、異なる他者と共に生きられるかを日々問われている。ここ新宿区でも行われる「ヘイトスピーチ」のデモや、いくつかの所で散見される「Japanese Only」の問題は遠い世界の事ではない。過剰な熱気で迎えられた2020年の東京オリンピック開催だが、世界中から人々を招こうとするその開催地で、異なる他者への嫌悪と排除の動きが広がっていることは問題である。身近な憲法問題がここにある。

 同じ日の別な紙面には、「『食肉』めぐるドキュメンタリー映画、差別問い学生が上映会」という記事が載っていた。立教大3年のH氏が6日に多摩市立永山公民館で開く、映画「ある精肉店のはなし」の紹介である。H氏はこの映画を観た経験から、と畜業への差別を知り、差別を糾弾するのではなく、この映画のように、小さくとも現実を訴える力が社会を変えるのだと感じて上映会を企画したという。知る努力を放棄したら改善は難しい、との意見も私たちへの問いかけである。

坂町坂だより NO.331


   関東よりも約1ヶ月遅い、東北各地の桜前線開花の便りが届いている。GWに満開を迎える地域も多いだろう。今年の冬が長かった分だけ、春も少し遅れてきたようだ。
一方千代田教会では初夏の香りに誘われるように、庭の木々には若葉が芽吹き、日に日に大きくなり、雑草が生い茂り始めている。3月中旬に教会学校のMちゃんが植えたジャガイモも土の中から芽を出し始めている。さらにここは新宿なのだが、隣家との境では「蕗」が大きくなってきた。そんな庭の環境を保つために、妻が今期2度目の草取りに励んでいる。ついでに町会の役員さんが大好きな蕗も採ってお裾分けして喜ばれた。彼には不在の時の管理や水撒きもお願いしているので、駐車場を貸したりして日頃から仲よくして頂いている。
 そんなご近所の皆さんも毎年楽しみにして頂いているのが教会のバラである。すでにたくさんの花芽が伸びている。GW過ぎには開花すると思われるが、ざっとみて2000本ほどの花芽があるだろう。このたくさんの花芽に混じって、私が「蔓芽」と呼ぶものも伸びている。今はその蔓芽を伸ばす時期ではないので、棘に刺されながらもそれらを切り取る。花芽に栄養分を送るためである。大きくて太い花芽には10輪以上の花が咲く。1番花が終わりその花ガラを切り落としてやると、2番花が数輪咲く。さらに3番花も咲くものもある。平均すれば1つの花芽から5~6輪は咲かせているので、すでに教会のバラの壁は1万を超えるバラの花に飾られることになる。道行く人も足を止めて見入り、またわざわざカメラを抱えて来られる方もあるくらいだ。
 このバラの親株は被災した新生釜石教会の庭に今も生きている。昨年はカトリックのS姉たちと「釜石のバラ・プロジェクト」に取り組んだ。50本以上の挿し木をして、教会の庭で世話をしたのだが、釜石の孫たちが全て根を張り生き延びた。S姉たちの活動を支援する全国各地の方々に届けられ配られたはずだ。津波で傷ついた釜石のバラの孫たちが、今全国に散らばり、新しい根を張り美しい花を咲かせようとしている。この四谷でも道行く人に挿し木をお分けしている。親株の復活を祈りながら、東北より1ヶ月早い「バラの教会」ももうすぐである。



 

坂町坂だより NO.330



 23年前の秋、釜石湾に臨む小さな尾崎白浜漁港の岸壁で小魚を釣っていた。そこで偶然出会ったのが漁師のSさんである。遠野から釜石に赴任する前に一番先に友人になったのは漁師であった。以来ワカメ・ホタテ・牡蠣の養殖漁業の様々な経験をさせてもらい学びと楽しい時を過ごした。また自家消費分のワカメを分けてもらい、「会堂建築ワカメ」として新会堂建築では大いに貢献してもらった。3年前の大津波で友人たちは海の財産を根こそぎ奪われた。岩手沿岸の諸教会、幼児施設の支援とともに漁師の友人たちへのささやかな漁業復興支援も続けている。

昨年からワカメの生産が再開された。春の遅い三陸では寒風に吹かれながら、大きく育った養殖ワカメの刈り取りが始まる。幹縄に巻かれた種付きのロープ、そこから芽が出て根が育ち、幹縄の下へと葉が成長を続ける。種巻きだけは人工だが、その後三陸のワカメは農薬も使わず、もちろん科学肥料も必要ない。豊かな広葉樹の森林から流れ出る栄養豊富な河川水が海水と混じり合い、そこで育ってゆく。ミネラルの豊富な天然食物、生活習慣病予防に効果があり、ダイエット効果や健康・長寿増進に最適の食材・ワカメはただ自然の力だけで成長してゆく。

さて収穫してきた生ワカメは岸壁で待つ家族に手渡され、直ぐに大きなお風呂のような釜で茹でられる。時間にして1分弱、茶色っぽいワカメが鮮やかな緑色に変化する。それを再び冷たい海水に通して荒熱を取り、水気を切ってから大量の塩をまぶして漬け込む。次に軽く水気を切ってから、11本手で取って中芯と呼ばれる茎を抜き出す「芯抜き」作業を行う。その芯抜きしたワカメを土俵袋と呼ばれる絞り袋に詰めてプレス機にかける。圧力をかけて圧縮し水分を絞り出す。そして最後に小袋に詰めて三陸産の「塩蔵ワカメ」が完成する。その塩蔵ワカメは冷蔵庫で半年以上保存できる。

被災した友人たちの「復活のワカメ」を新生釜石教会に代わって諸教会にお求め頂いている。新生釜石教会は修築が終わったばかりでまだ余力がないからだ。献金を含めての「復活のワカメ」は、新生釜石教会と新会堂建築に取り組む宮古教会、被災支援活動等のために大いに貢献する。できるだけ多くの教会・方々に協力頂けるようにと励んでいる。

2014年4月18日金曜日


4月20日 イースター合同礼拝

説  教  「終わりから生きる」太田春夫牧師

聖  書  マルコ1618

讃 美  歌  子どもさんびか・81899113534

交読詩編 98編

招詞 93141

坂町坂だより NO.329



 あの「311」原発事故の破局の恐怖も忘れたかのような政府のエネルギー基本計画に、大きな失望と政権の無節操を覚えたのは私だけではないと思う。もう一度原発事故が起こったなら間違いなく国が滅びるし、一国だけではすまない事柄だ。これからの子どもたちのためにどんな世界を遺してゆけるのか、我々大人たちが生き方を問われている。

 ところで先日ドイツ語福音教会のオルガニストのH姉から久しぶりのメールが届いた。そこには復旧した三陸鉄道の南リアス線に、釜石保育園の子どもたちが乗っている映像がTVで放映されている、というものだった。メールを開いた時間が遅かったので、直接TVを見ることができなかったが、園長先生のF姉に率いられた子どもたちの楽しげな姿が映っていたという。実は新園舎建設は、オリンピック等の影響もあり、入札が何度も流れていて、この春のお引っ越しは叶わなかった子どもたちと園長先生である。三鉄よりも新園舎であったと思うが・・。

 しかし三鉄の全線が5日、6日に南と北とで完全に復旧したニュースは寄付をした私たちにも嬉しい便りであった。北リアス線は久慈から宮古まで、南は釜石から大船渡まで。宮古と釜石の間はJRの山田線であるが、寸断されたままで何も手が付けられていない。採算が取れない赤字路線をJRは放棄したいのが本音のようだ。第3セクターで30年前に始まった三鉄も、山田線の経営を引き継ぐことに逡巡しているようだ。何故なら復旧したとはいえ、毎年の経常赤字が小さくないわけで、どうしたら採算が取れるようになるか頭を痛めていると思われる。

 その対策の一つが都会の人々が被災地に出かけて行って、三鉄に乗ることであると思う。それは間違いなく復興支援の大きな貢献になる。あの地で何が起こったのか、何がまだ不足しているのか、これからに向けて何ができるのか、自分たちの目と耳で、あるいは5感全てで感じ取ること。便利な大都会の繁栄と生活を支える地方の現実を、足を運んで感じ取ることは課題を分かち合うことでもある。何より教会の皆さまには、既に復興支援で三鉄の切符を買って頂いている。切符の有効期限は復旧から1年間。来る8月の北支区・被災地訪問交流の旅でも三鉄南リアス線に乗車する予定である。是非ご参加頂きたい。

坂町坂だより NO.328



 お隣のW教会のK先生とは親しくさせて頂いているが、K先生が色々な所に書かれるコラム、ショートメッセージ、書評などはいつも示唆に富み、心打つものが多い。その一つ、日本クリスチャン・アカデミーの機関誌「はなしあい」の巻頭言で、安倍首相の靖国参拝、集団的自衛権などの憂うべき事態を指摘した後、102歳の医師・日野原先生の朝日新聞の文章を引用している。孫引きも含めて引用させて頂く。

 ・・・ご自分の平和への願いを、将来の日本・世界をつくっていく子どもたちに伝えるため、10歳の子どもたちへの「いのちの授業」を大切に続けたいとのこと。・・「私のミッションは、彼らが柔らかい心を持った時代のうちに、平和の尊さを心に刻んでもらうことです。日本を戦争のできる国にしようとする政府の動きに、ハッキリ『NO』を言える勇気を持ってもらうことです。沖縄の米軍基地を容認することでもなく、日本が戦力を持つことでもない。外交による平和を実現してもらうことです。」・・・こうした願いが、自分の存命中に叶えられないとしても、平和を祈る子どもたちが世代を重ね、さらなる知性を獲得し、他者の命を重んじる地平を拓いてくれる、そのことを希望として、最後まで子どもたちに訴え、育てようと決意しておいでだとのこと。こうした一文に触れて、深く感動しました。・・・そう記されていた。

 また4日の朝日新聞のインタビュー記事、「アベノミクスと隣人外交」と題した、元駐日カナダ大使:ジョセフ・キャロン氏の見解も素晴らしいと思った。キャロン氏は、出だしでは安倍首相の政策を評価しているが、靖国参拝や国家主義的な言動の矛盾を鋭く指摘。カナダと米国との関係と中国と日本との関係との共通性を提示したうえで、カナダの外交から学ぶべきを助言。見出しにもまとめられているが、「中国と対立しては経済復活ありえぬ、見極めて利用せよ」また「もはや島国ではない、国境は頭の中に、変えるべきは感性」との主旨で、島国意識や脱亜入欧意識からの脱却と、地政学的現実を認識し、若者の国際交流、アジアを重視した多言語習得の教育改革の必要性を具体的に提言している。

 報告書が届いている北支区の第10回韓・日青少年合同修養会の地道な積み重ねこそ、これらの提言の射程にあることを思わされた。

2014年3月30日日曜日

坂町坂だより NO.327


 

 先週のこの欄に、渋谷での脱原発の「ママデモ」について書いたが、紹介だけでは裏付けに欠けるので妻と二人で一緒に参加した。たまたま教会での集会も終わったところであり、お天気にも恵まれていたので出かけることにした。脱原発の金曜デモにも、また他の脱原発集会にもなかなか都合がつかず参加できないことが多い。だから今回のママデモの事を論評することなどできないが、やはり初めてのママデモは少々こころもとなかったように感じた。しかし、このデモの企画から開催までの準備や手続き、安全に行うための応援の要請・打ち合わせ等々、初めてゆえのご苦労がたくさんあったことを想像しながら歩いた。

 主催者発表では約500人の参加者。ママたち、子どもたちが先頭に立ちバギーの幼児やパパ達が続いた。女性が大半であるが、私たちのような孫のいる中高年層が後列を歩いた。全体は2つのグループに分かれ、交通規制の警官に守られ、デモ行進の補助をする男性陣にも助けられてゆっくりと歩いた。参議院議員1年生のY氏も参加し、道行く人々に主旨を説明し、繰り返し脱原発を訴えていた。

 孫のような幼児も含め、周りにはお祖母ちゃん、お祖父ちゃんたちが幾組も歩いていた。渋谷駅から青山通り、母校の前を通り左折して表参道ヒルズの前、明治通りへ曲がり公園で解散というルートで、1時間半程で約1万歩を歩いて無事に終了。日曜の夕方、多くの若者たちで賑わう交差点を歩道ではなく、道路上から歩いて見ることの意味を思わされた。それは「視点の転換」という大切な経験であった。

 家庭の食卓においても時には座る場所を変えてみる。すると見えてくる「世界」が変わってくる。固定化しやすい私たちの視点、観点を時に変えてみる。礼拝堂の座席の位置も変えてみること。便利で快適な、大量消費やブランド志向の大都市文明を、様々な生産で支えている地方と交流して視点を変えてみること。エネルギーを生み出し、廃棄物を受け入れている地域に行ってみること等。国や民族の問題でも同じことが言えるだろうし、今回のママデモが成し遂げたのは、ママたち自身による視点の転換という挑戦であった。今までは歩道で眺めていた自分たちが、未来である子どもたちと一緒に道路に立っていたのだから。

坂町坂だより NO.326


 

 先週「3・11、映画と祈りの夕べ」を開催したが、この週は東京教区北支区においては大変珍しく、我々の『遺体』の上映会に続いて、お隣のエパタ教会での上映会が14日、早稲田教会での上映会が15日に組まれていた。さながら「北支区映画週間」のようであった。

 エパタの上映会は、ドキュメンタリー映画『赤貧洗うがごとき~田中正造と野に叫ぶ人々~』で、日本基督教団東京教区部落解放5支区代表者会・西東京教区部落解放担当の共催によるものだ。当教会の上映会にもいくつもの教会から来て頂いたので、金曜夜の上映会に私も参加した。大変硬派の映画であり、かなりマイナーな映画である。参加者は多くは望めないだろう。しかし一人でも多い方が良い。そう思っていたら出発直前、再び釜石の漁師さんから「生ワカメ」がどっさり届いた。そこでその生ワカメを上映会参加者のお土産に。皆さんへのお裾分けと今後の釜石の「復活のワカメ」の被災支援・販売促進を兼ねて持参した。

 「赤貧・・」は2度目の鑑賞になる。釜石時代にも観た記憶がある。

「・・ああ、記憶せよ万邦の民、明治40629日は、これ日本政府が谷中村を滅ぼせし日なるを・・」と記された歴史。富国強兵政策の国家的プロジェクトの下で何が起こったのかを知ることができる。古河による足尾銅山開発とそれに伴う鉱毒被害は放置され、山谷は荒れ果て、渡良瀬川流域は大洪水による被害拡大の悪循環に陥る。その現実に立ち向かった農民と田中正造の闘いの軌跡。「真の文明は、山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし」と鋭く権力を批判した正造は、国家による「棄民」の不条理に立ち向かった。
しかし私たちは「3・11」を経験した後で、正造の生涯を学び直してみると、これは百年前の足尾銅山の鉱毒問題だけではなく、「水俣」と「福島」へと繋がる現代日本の大きな課題であるということだ。命と未来を懸けた闘いの記録である。その闘いはかつてと同じように幅広い裾野の広がりが求められ、一人ひとりの生き方が問われている。23日の午後3時からは、子どもたちを守りたいと願うママたちが、渋谷で脱原発の「ママデモ」を企画しているという。子どもたちの命と未来への切実な願いと祈りは、百年前と深く通底するものであると思う。

2014年3月15日土曜日

坂町坂だより NO.325



 先週はあの「3.11」以来3年ぶりにこの欄をお休みさせて頂いた。土曜日の段階で、体力・気力が限界になっていたためである。

 実は2月末から3月上旬にかけて長老会の承認を得て、初めてのイタリア旅行に出かけた。信徒の友誌の「ようこそキリスト教名画の世界に」欄を1年間連載していた長女が、予てから計画していたイタリアの美術館と諸教会の名画を見る旅に同行したためである。彼女はキリスト教美術を専門とする現役の学芸員である。私は生涯で4度目の海外旅行、欧州は初、JTBの企画する団体の旅も初めての経験であった。

 ダビンチの「最後の晩餐」とミケランジェロの「最後の審判」の両方が見られて、ミラノ・ヴェネチア・フィレンツェ・ローマの4都市を巡り、各地の教会や美術館見学の団体予約がなされ、観光ガイドが付く旅である。上の二つの「最後・・」は、現在個人で自由に見ることが極めて困難と言われている。娘の緻密な計画では途中のオプション観光の時間は、ひたすら教会と美術館巡りが組まれていた。私はただただ娘の後に付いてフィレンツェとローマの町を巡り歩いただけであった。両手では足らない数の教会と美術館などを巡り、何千という絵画や彫刻を見て歩いた。分からないことはすぐ傍の学芸員に聞けば良かった。その上に元々組まれていた美術館に大伽藍巡りである。膨大な量の美術に関する情報が入り込んできたが、まだまだ混乱していて、どこを歩いて何を鑑賞したのか整理できていない。

 その旅の2日目、最初の美術館で「最後の晩餐」見学直前に、留守を守っていた妻から訃報が届いた。教会員のI氏が召されたとの報に正直衝撃を受けた。ご親族の訃報と私の旅による不在とが3年連続で重なってしまったからだ。ご自宅にお電話して不在をお詫びし、概要の打ち合わせをしながらも、移動する車中において前夜式と告別式のメッセージをノートに作り始めた。それと並行して各地の名画と大伽藍を巡る旅は新しい出会いや様々な発見と学びを与えられ、無事に帰国。直ちに準備に励み、日曜礼拝に続いて葬儀が持たれ、多くの方々とともに故人を想起し、その信仰の生涯を分かち合うことができたと思う。全力で走り抜けたような2週間、少し落ち着いて受け止め直したいと思っている。

坂町坂だより NO.324


 

 先日TVで山田太一氏脚本によるドラマ、「時は立ちどまらない」が放映された。録画しておいて日曜日の午後、夫婦して涙しながらじっくりと観た。もうすぐあの「3・11」が再び巡ってくる。早くも丸3年が過ぎ4年目を迎える。この間、被災地では何が変わったのだろう。

 ドラマの筋立ては、あの日から5日前の日曜日、二つの家族が婚約の顔合わせをするところから始まる。大学出の才媛で市役所勤めの一人娘、彼女の家族は信用金庫の支店長の父と母と祖母、家族は高台に住んでいた。一方は浜に生きる漁師家族、祖父母、両親、長男と二男の6人家族。

彼女は漁師の長男の嫁として結婚を決意しているが、ただ一つ条件があった。女性の社会進出のために将来は政治家も目指したいというものだった。そのことを巡るやり取りのなかでドラマが始まるが、あっと言う間にあの日がやってきた。浜に住む家族は、祖母・母親・長男が亡くなった。片や全員が無事で、家も車も残った彼女の家族。そこからの展開は痛いほどのセリフのやり取りが続く。とても素晴らしいドラマに仕上がっていると思ったし、さすが山田氏の脚本であると思う。出演者の演技力も光った。彼らの語る言葉の一つ一つは、実際に被災し愛する家族を失った方々の腹の底から絞り出すような叫びを、作家が丹念に拾い集め、言葉にならない事柄を誠実に描き出していると思った。

私自身これまでに20回ほど岩手に足を運んだが、2年目になってもドラマに出てきた鋭い叫びのような言葉を何度もぶっつけられ、また生と死を分けた圧倒的な体験を聴き、その重さの前にただ佇むだけであった。恐怖のような叫びと無言の涙や呻くしかない思いのほんの僅かな部分を聴くことができた。しかしそれができたことを感謝しようと思う。

あの時期、久しぶりに再会すればほとんどの場合誰もが「ハグ」をしていた。日本人の習慣にハグは余り馴染みがなかったように思われる。だが誰もが弱さと深い寂しさを抱えて生きているのだ。自分たちは尚も生かされていて、生きて再会できた、そのことが圧倒的な事実なのだ。先のドラマのなかでも「ハグ」は大きな要素になり、共感と共苦を象徴するものとなる。来る「3・11」の『遺体』の上映会、新たな思いで4年目を迎えるために、共感と共苦の祈りの時としたい。

坂町坂だより NO.323


 
 立春寒波のために一度延期していた庭木の剪定作業。その間に大雪が2度も降り、それがまだ残っていたので再度延期を提案した。しかし作業を担って頂くA兄夫妻は実施を希望されたので、足場となる庭木の周囲の除雪を完全にして当日を迎えた。

 ご夫妻は70歳前後であるが、植栽剪定のセミプロである。農大の生涯学習講座を受講し、世田谷区の小中学校などの庭木の剪定作業をボランティアで行う活動を続けている。ティームに分かれて分担して行うそうだが、かなりの高木も剪定されるという。昨年から教会の雑木や植栽、多磨霊園の教会墓地の植栽剪定の作業奉仕をお願いしている。教会員のA兄は音楽活動も熱心なご一家であるが、剪定現場での出で立ちはまさに職人そのもので、地下足袋、いのち綱、腰帯の道具類が大変様になっている。伸縮型の梯子、脚立を持参され、高所に登り、次々と枝や幹を切り落とす。下ではそれらを受けて、小枝類をより細かくして袋に収めてゆき、大きめの枝や幹は切り分けてまとめてゆく。

 夫唱婦随ならぬ「婦唱夫随」の大変円満な関係に見えるが、その理由は先に夫人が植栽の講習を受けて卒業し一日の長があるとのこと。下からどの枝を切り、どうバランス良く治めるかを指示されながらの作業である。私たち夫婦もそれなりの格好しながら小枝を細かくし、まとめてゆく作業に精を出す。4人で午前中の3時間半みっちりと働いて、柿の木の高い部分、紫陽花の枯れ株、いちじくの幹や枝の7割を剪定した。実はいちじくには大スズメバチがやってくる。小さなお孫さんたちが家族で引越してきた隣家に近い部分はすべて切って頂いた。物干しから高枝鋏で収穫できる範囲を残して極めてスッキリした状態に。隣家にも、牧師の書斎にもこれまで以上に日が当たり明るくなるだろう。

 延べ14時間の労働と作業分担により剪定は無事終了。快い達成感と和やかな昼食を共にした。結果70Lのゴミ袋6袋に小枝等が収まり、焚きつけになりそうなかなりの量の幹や枝が出た。6袋は翌日収集車に、幹や枝は近所のO家が喜んで引き取ってくれた。O家にはこの新宿にも関わらず立派な薪ストーブがある。時々使われるとのこと。まさに焚きつけにもなり、資源として無駄なく用いられることが大変有難い。

2014年2月19日水曜日

坂町坂だより NO.322



 先週に続いて雪の話題で恐縮だが、今週末も関東は大変な大雪になった。長女の住む甲府では記録的な1mもの積雪となったそうだ。駐車場の車が雪に沈んでいるメールを送ってきたが、東北地方と異なり除雪車などが十分ではないだろうから、慣れない除雪作業に苦労しているようだ。こちらでも金曜の午前中から降り出した雪はかなりの積雪となり、それが朝方には雨に変わった。屋根の雪も一気に落ちてきた。7時頃、玄関から道路までの除雪と側溝の浸透枡までの排水の目安をつけたところで作業を中断。雨脚が強くて、とても続けられなかった。

大雪に大雨、釜石に移って間もない頃の経験が蘇ってきた。全国的には1月中旬に持たれるカトリック・プロテスタントの一致祈祷週間がある。釜石では私の赴任後、カトリック・聖公会・教団の3教会が持ち回りで合同礼拝を守ることにした。ある年大雪が降り、続いて大雨となり道路はグズグズとした極めて歩きづらい状態に。更に今度は寒波が到来し、残った雪の山がほとんど氷の塊となってしまったことだ。

そこは流石に東京である。昼前に雨が止むと、ご近所の皆さんは通常のスコップや雪用のスコップなどを手に除雪作業に出てこられた。私は岩手から持参したスコップを使って、お隣やご近所の除雪のお手伝いを常としている。岩手では当たり前にしてきた。ご近所が助け合う。自分の所ばかりでなく高齢者や他の方々の所まで除雪する。坂町のこの一角にはそういう雰囲気が結構残っている。水を含んだ重たい雪に腰を痛めながら、朝から3回も着替えて除雪に励んだ。お隣やご近所の皆さんと様々な会話が生まれ、共に汗を流して助け合う関係が生まれる。作業の熱気に雪もどんどん融けてゆく。

この地域にとってそれはとても大事なことだと思う。というのはこの地域は新宿区の震災ハザードマップで総合危険度レベル4の地域だ。道路が狭く、古い木造住宅がまだ残っている。教会などは築60年以上だ。高齢者やお一人住まいの方々も多い。除雪の共同作業は、災害時助け合いのドリル・演習にもなろう。お互いを知り合う良い機会になる。そう思って励んでいる。2本ある雪用のスコップは7年目を迎えて、とうとう壊れてきた。新しいものに買い替える時期が来た。

坂町坂だより NO.321



 昨年1月の成人式の日、北支区信徒大会の日は大変な大雪になった。その日は夕方からFさんたちの結婚式が千代田教会で予定されており、昼過ぎには信徒大会の会場・信濃町教会から戻ってきたが、都心部は大混乱が始まっていた。晴れ着の若い人たちがお祝い会などのホテルやパーティー会場に向かうだけでも大変難儀な状態になっていた。JRや私鉄も運休し始めており、さらに道路は大渋滞となっていた。

 結婚式は遅れながらも無事に済んだが、ご家族だけの夕食会場のホテルにどのように移動するかが最大の課題になった。上智大学の裏のホテルまでどうしたら無事に辿りつけるか。記念撮影が終わるや否や司式者のガウンを脱ぎ、マリンブーツにダウンのジャンパーに着替え、毛糸の帽子を被り、被災地を何度も往復した愛車を大雪の中で準備し、直ちに運転手に変身。狭い坂町の道路に積もる雪をものともせず、4WD・スタッドレスタイヤ・雪用ワイパー装備の車でご家族をホテルまで無事にお届けした。裏道を使い、難儀している他の車よりもはるかにスムーズに往復できた。更にあの日は自宅から2時間近くかけて教会に来られ、彼らの結婚式に参列してくれたご高齢のO兄がいた。大雪の中とても帰れる状態ではないので教会にお泊まり頂だいた。幸い翌日の昼過ぎには、温かな陽光の力で雪は一気に融けだし、無事に戻って行かれた。

 その記憶がまざまざとよみがえる程の大雪が降り続いている。都会がどれほど雪に弱いのかを改めて実感しているが、今年は13年振りという大雪警報が出されて、無理な外出を控えるようにとTVでも何度も繰り返している。ご高齢の方々には礼拝をお休み頂くように電話をしたところだ。もしも雪道で転倒されたりしたら、それこそ大変なことになる。皆さん快諾くださり、電話を喜んで頂いた。
 それにしても岩手での冬の日々が思い出される。2月が一番寒くて、零下20度にも下がることがあった遠野では、3月の声が聞こえてくると、あともう少しと希望が膨らんだ。また3月には岩手沿岸部にこの時期の低気圧が北上して大雪を降らせる。北国はまだまだ寒い日が続く。仮設住宅の方々に、福島の避難している方々に、3度目の冬は長く春は遠いのだろう。早く3月の声を聞きたいものだ。

坂町坂だより NO.320


 

 久しぶりに風邪を引いた。前回風邪を引いたのは、かかりつけのお医者さんのカルテにも記録がなかなか見つからないほど前のことである。

記憶では4年以上経っていると思う。また「3・11」以降、これまでに約20回岩手に行き被災地支援の活動を続けてきた。その中には自分で車を運転しての往復が数回含まれている。けれどもこの間も風邪を引くことなく何とか乗り越えてきた。それを密かに自負していた。

 しかし久しぶりに風邪を引いてみて、結構苦しい夜を過ごすことになった。そんな休養の日々、2006年秋に出版された対談集『たった一度の人生だから』(いのちのことば社)を読み直してみた。対談しているのは1911年生まれの日野原重明先生と1946年生まれの星野富弘さんである。特に日野原先生は2001年の「9・11」を踏まえた上で、いのちと平和について話されているが、星野さんの苦難を乗り越えてきた人生から生み出される一つひとつの言葉も素晴らしい。2005年に完成したばかりの新しい富弘美術館と地元の童謡ふるさと館での豊かな対話の記録であり、新緑の美しい旧東村・現みどり市の里山の自然と陽光を感じさせる小さな1冊である。

 私たちの教会でも、1泊懇親会を行っていた時期2007年の夏、富弘美術館を訪れたことがある。星野さんの描いた美しい花々と添えられていた詩の言葉に豊かな慰めを受けた。24歳の時に頸椎を骨折した彼が、60歳の誕生日を直前に、95歳の日野原先生と語り合っている。お二人は今も健在であり、「3・11」以降の世界にも夫々のメッセージを発信し続けている。もう一度あの美術館に行ってみたいものだ。

2014年1月29日水曜日

坂町坂だより NO.319


 

 数年前から日本クリスチャン・アカデミー(NCA)の関東運営委員会の末席に連なっている。私が関わるところはどうも消長気味のところが多いが、NCAも運営が極めて厳しいようだ。内容的には素晴らしい企画と講師を招いての連続講座や講演会を開催している。しかし実際にはPR不足などもあり残念なことにいつも少人数で赤字続き。NCAの本部は京都にあり公益法人格を取得したのだが、関東は困難な日々が続いている。それでも次年度の企画と予算案を作らねばならない。

 先月の委員会を欠席したので途中経過が良く分からずに出席したが、次年度は委員自身が直接関わる企画などが提案されていた。考えてみれば皆さんいくつかの神学校で教授や講師を務めている方々がほとんどである。ご自身が得意とする分野で、自分たちが楽しみながら学ぶという方向性である。しかもほぼ手弁当という条件。まるで神学校のゼミそのもののような素晴らしい企画に思える。参加者数は度外視し、まず委員たちが楽しく学ぶ機会とすればこれ以上のものはそんなにないだろう。

 プランのいくつかを紹介すると、フェミニスト神学の専門家Y先生の聖書講座「聖書の女性たち」(10回)、日本聖書神学校協賛企画で「『自死』に遭遇した人への慰めとはー牧会の現場から」(5回定員10名)。講師はカウンセリングで著名なK先生、私は聴講と受付で参加することに。同神学校教授Y先生によるキリスト教入門としての聖書講座「マルコ福音書の学び」(5回)。極めつけはT先生による連続読書会8回である。古典で読む20世紀というテーマで『官僚制』マックスウェーバー、『賃労働と資本』K・マルクス、『現代の批判』S・キルケゴール、題名は省略するが続いては、ニーチェ、サルトル、バルト、レーニン、レイチェル・カーソンと超剛速球、ストレート1本勝負の企画である。
 
 これには流石に委員たちもあんぐり。講座のキャパなどもあり、隔月開催にして、その間には「説教と絵本の世界」(仮題)を巣鴨ときわのM牧師、早稲田のK牧師、不肖私も担当し、硬軟織り交ぜての企画となった。その他「キリスト教の周縁を読む」や「まんがで人生を考える」などのアイディアも。リベラルな先生方によるNCAの有終の美となるのだろうか。ここだから出会い、学べるという豊かな恵みである。

2014年1月23日木曜日

坂町坂だより NO.318


 

 成人の日の月曜日、第15回北支区信徒大会が信濃町教会を会場に開かれた。テーマは「信徒のはたらきを考える~被災地から学ぶ」ということで、岩手県の宮古教会からM牧師を招いて開会礼拝のメッセージとして、あの日の出来事とその後の歩みをお話し頂いた。私は13年前の秋、M牧師が宮古教会とのお見合い説教のために、指導教授のK先生とともに来岩された折、釜石から盛岡までお迎えに行き盛岡に1泊。翌日さらに宮古教会までお二人を車に乗せて案内した。また同じ学校法人内の幼稚園を経営する仲間として、岩手沿岸地区の宣教と教育の課題をともに担った仲でもある。今回の震災以降も、沿岸地域の幼児施設支援において可能な限り様々な人と物とを繋いできた経緯もあり、M牧師が語る言葉の一つ一つがとても重く感じられた。お話しもテーマに沿った大変豊かな内容であったと誰もが感銘を持って聞き入っていた。

 分団協議やその後のバザーなどで被災地支援の働きのために北支区が祈りを合わせていること。東京でも小さな教会は多くあり、困難な現場の事情を共有し、互いに顔の見える仲間になろうとする努力が続けられていることなど、信徒大会の意味を思わされたが、参加24教会、出席者110名余は、それがなお途上にあることを示している。だが近隣教会との助け合いは今後ますます重要な課題となってくるだろう。

 夜の講師を囲む懇親会は楽しいひと時となった。M牧師は宮古教会と幼稚園は新しい土地を既に購入し、わずか10名の群れながら新会堂・新園舎建築に向けて大胆な1歩を踏み出したことを、図面を手にしながら説明してくれた。彼とは新会堂・新園舎が防災と減災に十分に配慮し、命を守る建物であることを目指せるようにとこれまでも話しあってきた。エコだけではなく、防災が今日の緊急の課題になっているからだ。
 
 その課題を学ぶために、新宿区主催の防災とボランティア週間講演会に出席した。「確実にやってくる首都直下地震に対して~学ぶべき本当の教訓と今すべきこと」というテーマで、東大教授の目黒先生が話しをされた。関心の高さを示すように聴衆は500人を越えていただろう。結論的には自助・共助・公助は721の割合なので、可能な限り自助に努めて備えよということであった。教会もその備えを求められている。

2014年1月16日木曜日

坂町坂だより NO.317


 

 暮れからお正月にかけて、私の耳に入った訃報や葬儀の情報は片手では足らない程になった。しかも今週は、新たに親戚関係になった家族の訃報が届き、妻が葬儀のために北に向かった。年の初めに次々と訃報に接し、また知己や親戚の葬儀をどう受け止めてゆけば良いのか、思案しながら過ごしている。

 ところで東京に来てからこの数年、青学大神学科同窓会の下働きをずっと続けている。卒業生名簿の最後に名前を連ねている関係で引き受けているが、この37年間後輩は一人もいない。いつも最後で一番若い層になってしまう。その意味で聖書的には主イエスが教えられたように、仕えるようにという立ち位置が変わることなく続いている。その同窓会が協力をし、任意の読書会のグループが主催し神学科関係の「3先生を偲ぶ会」が正月早々に開かれた。私はいわば幹事役である。

 30数人の参加者とご遺族が集い、昨年亡くなられた先生方の人生を夫々に思い起こし、限られた人数ではあったが心からの思い溢れる言葉を語り合った。礼拝の部では、恩師のS先生が人生の終わりは未完であり、それ故に開かれたままで終わることを話された。それを含めて感じたことは、キリスト教というのは、つくづく「言葉の宗教」であるということだ。これまでも親しい仲間や先生方の葬儀において、その語られる言葉に耳を傾けてきた。そして自分でも葬儀の司式者として言葉を語ってきた。私たち人間が語る言葉は決して完全でも完璧でもない。しかし、真実と誠意、愛と思いやりに裏付けられた言葉は、聴く者をして素直に首肯させ、心の深いところで豊かな感動をもたらす。そこには夫々の人生における掛け替えのない出会いがあるからだ。3先生方に出会えたお恵みを誰もが感謝して家路に着くことができた。
 
 神学科が廃科されて37年が経過した。その最後の礼拝で5人の残られた先生方が一緒に讃美歌を歌っている写真が私の手元にある。その内の3人の先生方が天に召された。S先生はその時も「蜘蛛が飛ぶ」という例話を用いて新しい世界に飛翔することを、各地に散ってゆく数人の卒業生に向かって語られた。死もまた未完の人生の開かれた始まりなのかもしれない。未完のままに精一杯この1年を生かされて歩みたい。

坂町坂だより NO.316


 

 先週と手順前後となってしまったが、クリスマス礼拝と祝会のお恵みを報告しておきたい。特に2013年は体調が優れず説教をして頂けなかったM名誉牧師が2ヶ月ぶりに礼拝に出席され、恒例となっているスペシャルクイズを「渾身の力」を注いで出題され、お元気な様子に皆が喜び感謝した。礼拝には御近所の方々や教会員の夫々の友人が参加され、初めての方々も含めて祝会を持つことができた。なかでもCS(子どもたち)の出し物が無事にご披露できたことが大きな感謝であった。

 多くの教会で子どもたちが減少し、またいなくなっている現状がある。当教会も数人の小さな子どもたちとCS礼拝を守っている。スタッフが4人で子どもが1人ということもあれば出席者なしの日もある。クリスマスに向けての準備・練習がほとんどできないことが常態化している。イエスさまの誕生劇ページェントを演ずることなど夢物語である。その夢を別な形で可能にしているのがエプロン・シアターである。

 実は妻の友人S姉から、そのS姉の叔母さんの友人I姉の手作りエプロン・シアターを被災地の幼稚園や保育園に届けたいとの申し出があった。2011年の夏頃大槌のおさなご幼稚園・釜石保育園・千厩教会CSに、「ジャックと豆の木」「3匹ヤギのガラガラドン」など7~8点をお届けし大変喜ばれた。その出来栄えは本当に素晴らしいもので、個人的にも欲しいと思った程である。一昨年そのI姉に、クリスマス・ページェント用のものをと特注させて頂いた。クリスチャンでないI姉にはクリスマス物語をお読み頂き、試行錯誤で完成したのが、日本にただ一つのクリスマス・ページェント用エプロン・シアターである。実際にはエプロンではなく、縦65cm横80cmの四角形の布生地を舞台として、マジックテープで布製の人形を貼り付けてゆく。
 
 12年のクリスマスが初演、13年は妻の友人のS姉も礼拝に来られた。会食後の本番直前に初顔合わせの総練習、まさにぶっつけ本番!台本の朗読、セリフの部分に加え、子どもさんびかを数曲挿入して物語を構成、場面毎に人形を貼り替えてゆく。元長老のA兄には羊飼い姿で讃美歌独唱をお願いし、天使役の牧師と、マリア役のMちゃんとソロやかけ合いを加えた2度目の「公演」は好評の内に大きな拍手を頂いた。