先週「3・11、映画と祈りの夕べ」を開催したが、この週は東京教区北支区においては大変珍しく、我々の『遺体』の上映会に続いて、お隣のエパタ教会での上映会が14日、早稲田教会での上映会が15日に組まれていた。さながら「北支区映画週間」のようであった。
エパタの上映会は、ドキュメンタリー映画『赤貧洗うがごとき~田中正造と野に叫ぶ人々~』で、日本基督教団東京教区部落解放5支区代表者会・西東京教区部落解放担当の共催によるものだ。当教会の上映会にもいくつもの教会から来て頂いたので、金曜夜の上映会に私も参加した。大変硬派の映画であり、かなりマイナーな映画である。参加者は多くは望めないだろう。しかし一人でも多い方が良い。そう思っていたら出発直前、再び釜石の漁師さんから「生ワカメ」がどっさり届いた。そこでその生ワカメを上映会参加者のお土産に。皆さんへのお裾分けと今後の釜石の「復活のワカメ」の被災支援・販売促進を兼ねて持参した。
「赤貧・・」は2度目の鑑賞になる。釜石時代にも観た記憶がある。
「・・ああ、記憶せよ万邦の民、明治40年6月29日は、これ日本政府が谷中村を滅ぼせし日なるを・・」と記された歴史。富国強兵政策の国家的プロジェクトの下で何が起こったのかを知ることができる。古河による足尾銅山開発とそれに伴う鉱毒被害は放置され、山谷は荒れ果て、渡良瀬川流域は大洪水による被害拡大の悪循環に陥る。その現実に立ち向かった農民と田中正造の闘いの軌跡。「真の文明は、山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし」と鋭く権力を批判した正造は、国家による「棄民」の不条理に立ち向かった。
しかし私たちは「3・11」を経験した後で、正造の生涯を学び直してみると、これは百年前の足尾銅山の鉱毒問題だけではなく、「水俣」と「福島」へと繋がる現代日本の大きな課題であるということだ。命と未来を懸けた闘いの記録である。その闘いはかつてと同じように幅広い裾野の広がりが求められ、一人ひとりの生き方が問われている。23日の午後3時からは、子どもたちを守りたいと願うママたちが、渋谷で脱原発の「ママデモ」を企画しているという。子どもたちの命と未来への切実な願いと祈りは、百年前と深く通底するものであると思う。
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