先日TVで山田太一氏脚本によるドラマ、「時は立ちどまらない」が放映された。録画しておいて日曜日の午後、夫婦して涙しながらじっくりと観た。もうすぐあの「3・11」が再び巡ってくる。早くも丸3年が過ぎ4年目を迎える。この間、被災地では何が変わったのだろう。
ドラマの筋立ては、あの日から5日前の日曜日、二つの家族が婚約の顔合わせをするところから始まる。大学出の才媛で市役所勤めの一人娘、彼女の家族は信用金庫の支店長の父と母と祖母、家族は高台に住んでいた。一方は浜に生きる漁師家族、祖父母、両親、長男と二男の6人家族。
彼女は漁師の長男の嫁として結婚を決意しているが、ただ一つ条件があった。女性の社会進出のために将来は政治家も目指したいというものだった。そのことを巡るやり取りのなかでドラマが始まるが、あっと言う間にあの日がやってきた。浜に住む家族は、祖母・母親・長男が亡くなった。片や全員が無事で、家も車も残った彼女の家族。そこからの展開は痛いほどのセリフのやり取りが続く。とても素晴らしいドラマに仕上がっていると思ったし、さすが山田氏の脚本であると思う。出演者の演技力も光った。彼らの語る言葉の一つ一つは、実際に被災し愛する家族を失った方々の腹の底から絞り出すような叫びを、作家が丹念に拾い集め、言葉にならない事柄を誠実に描き出していると思った。
私自身これまでに20回ほど岩手に足を運んだが、2年目になってもドラマに出てきた鋭い叫びのような言葉を何度もぶっつけられ、また生と死を分けた圧倒的な体験を聴き、その重さの前にただ佇むだけであった。恐怖のような叫びと無言の涙や呻くしかない思いのほんの僅かな部分を聴くことができた。しかしそれができたことを感謝しようと思う。
あの時期、久しぶりに再会すればほとんどの場合誰もが「ハグ」をしていた。日本人の習慣にハグは余り馴染みがなかったように思われる。だが誰もが弱さと深い寂しさを抱えて生きているのだ。自分たちは尚も生かされていて、生きて再会できた、そのことが圧倒的な事実なのだ。先のドラマのなかでも「ハグ」は大きな要素になり、共感と共苦を象徴するものとなる。来る「3・11」の『遺体』の上映会、新たな思いで4年目を迎えるために、共感と共苦の祈りの時としたい。
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