2014年6月26日木曜日

坂町坂だより NO.336



 久しぶりに「本」を読み始めた。毎週の説教準備のために、何冊もの専門書や説教集、関連する注解や論文を読むことは基礎的作業として続けている。その意味では活字から離れていた訳ではない。しかししばらく前に、知人の書いた書評から関心を持って購入、一気に読了しこの欄でも紹介したうえ、更にクリスマスイブの礼拝で思い入れも強く紹介した1冊があった。それが全くの詐欺的な捏造であり、クラシックの話題曲も別人が作曲していたという事件があった。正直に言って少々ショックを受け、しばらく「本」を読む気にならなかった。

しかしどこかでリハビリしなくてはいけないので、お隣のW教会のK牧師が書いた書評から、気を取り直して読み始めた。それは赤坂憲雄氏の『震災考 201132014.2』(藤原書店)という本である。K牧師に連絡し、彼は読み終わっているであろうから、それを借りてきて読み始めたという次第である。

 赤坂憲雄氏は現在学習院大学文学部教授であるが、私とは同年である。赤坂氏の若い日に私も遠野で何度かお会いし、お話しを伺ったことがある。民俗学の研究が専門で、「遠野常民大学」の中核となった友人などと一緒に地道な活動を続けておられた。大変穏やかな人柄であるが、その東北への深い洞察、歴史と文化への切り口は説得力がある。1999年には責任編集による『東北学』を創刊し、その他にも一般社団法人「ふくしま会議」代表理事、福島県立博物館館長、遠野文化研究センター所長などの役職を担い、誰よりも深く東北を愛する人物の一人である。

 その彼もあの「311」直後の1週間、全く言葉を失っていたという。「東日本大震災が起こってから、わたしはしばらく言葉というものを失っていた。語るべき言葉など、どこにもなかった。空っぽだった・・」と正直に書き始められているこの本は、時系列で並べられた彼の言葉の回復の記録でもある。今・この時の世界的潮流と、日本国内の異端排除とも言える諸症状、政治的な体制翼賛会化などを踏まえながら、東北から、これまでも踏みにじられてきた弱者の視点から、この国の30年後、50年後の社会全体をデザインする、生存を懸けた新たな自由民権運動として位置づけ、復興ではなく東北の再生を目指す1冊である。

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