2014年6月26日木曜日

坂町坂だより NO.335


 
 20109月、北支区の常任委員会4役と信濃町教会長老T姉、当教会H長老の6名を案内し、レンタカーのワゴン車を駆って一路北を目指した。23日の奥羽教区・岩手地区の教会訪問の旅であった。東北道・岩手路と運転を交替しながら無事一関教会に。更に千厩教会、気仙沼の畠山さんを訪問。陸前高田で休憩し、大船渡教会、新生釜石教会で交流。遠野・日詰・江刺の各教会を廻り、一気に南下し東京に戻った。その帰路2度目の奥羽との交流は六ヶ所村の核燃サイクル施設を訪ね、原子力問題について学ぶことが課題であると話された。
 半年後、かの地を大津波が襲い多くの人命を奪い、生活の根底を根こそぎ呑み込んでいった。さらに原発事故の恐怖は列島全体を覆い、立てつづけに爆発する原子炉の姿と拡散する放射能、その汚染の深刻さと混乱は、暗く深い闇が足元で口を開けたことを実感させた。岩手沿岸の被害情報の収集と原発事故の報道。岩手の関係者などが集まっても来た。精神的にも追い詰められた時期だった。混乱と不安の中で誰もが動揺していたが、1週間後の18日北支区の仲間12人が大震災に対処すべくこの千代田教会に集まってきた。真剣な協議と対応の方向性を祈りつつ確認し、教会の信仰の内実が問われていると感じていた。
 あの日から北支区東日本大震災被災支援特別委員会は回を重ね32回目が当教会で開かれた。釜石から移植したバラが満開を迎えている時期、ついでに「復活のワカメ」のワカメごはんに酢のもの、茎ワカメの炒め物も用意して迎えた。委員会の組織は小さいが小回りが利き、人と人とが出会い繋がれる関係を目指し、ニュースも11回発行。主旨に賛同した諸教会の尊い献金が、奥羽教区を通して岩手沿岸の被災教会へ経常会計支援として送られた。また幼児施設の支援にも。更に福島の原発被害の教会支援、福島の幼児施設への飲料水支援等々、いつも丁寧に謙虚に関わり、何度も具体的に足を運び続けている。その熱心さと誠実さに対しては、岩手との間を繋いだ者として本当に頭が下がる思いである。
 夏には6回目の岩手訪問の旅、また秋には宿題であった六ヶ所村の核燃サイクル施設や建設中の大間原発訪問が企画され、かの地の方々との出会いと交流計画が、篤い祈りの中で準備されている。
 

 20109月、北支区の常任委員会4役と信濃町教会長老T姉、当教会H長老の6名を案内し、レンタカーのワゴン車を駆って一路北を目指した。23日の奥羽教区・岩手地区の教会訪問の旅であった。東北道・岩手路と運転を交替しながら無事一関教会に。更に千厩教会、気仙沼の畠山さんを訪問。陸前高田で休憩し、大船渡教会、新生釜石教会で交流。遠野・日詰・江刺の各教会を廻り、一気に南下し東京に戻った。その帰路2度目の奥羽との交流は六ヶ所村の核燃サイクル施設を訪ね、原子力問題について学ぶことが課題であると話された。

 半年後、かの地を大津波が襲い多くの人命を奪い、生活の根底を根こそぎ呑み込んでいった。さらに原発事故の恐怖は列島全体を覆い、立てつづけに爆発する原子炉の姿と拡散する放射能、その汚染の深刻さと混乱は、暗く深い闇が足元で口を開けたことを実感させた。岩手沿岸の被害情報の収集と原発事故の報道。岩手の関係者などが集まっても来た。精神的にも追い詰められた時期だった。混乱と不安の中で誰もが動揺していたが、1週間後の18日北支区の仲間12人が大震災に対処すべくこの千代田教会に集まってきた。真剣な協議と対応の方向性を祈りつつ確認し、教会の信仰の内実が問われていると感じていた。

 あの日から北支区東日本大震災被災支援特別委員会は回を重ね32回目が当教会で開かれた。釜石から移植したバラが満開を迎えている時期、ついでに「復活のワカメ」のワカメごはんに酢のもの、茎ワカメの炒め物も用意して迎えた。委員会の組織は小さいが小回りが利き、人と人とが出会い繋がれる関係を目指し、ニュースも11回発行。主旨に賛同した諸教会の尊い献金が、奥羽教区を通して岩手沿岸の被災教会へ経常会計支援として送られた。また幼児施設の支援にも。更に福島の原発被害の教会支援、福島の幼児施設への飲料水支援等々、いつも丁寧に謙虚に関わり、何度も具体的に足を運び続けている。その熱心さと誠実さに対しては、岩手との間を繋いだ者として本当に頭が下がる思いである。

 夏には6回目の岩手訪問の旅、また秋には宿題であった六ヶ所村の核燃サイクル施設や建設中の大間原発訪問が企画され、かの地の方々との出会いと交流計画が、篤い祈りの中で準備されている。

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