2013年12月29日日曜日

坂町坂だより NO.315


 

 恩師のS先生がYMCAの機関紙に巻頭言を寄せておられる。その題は「戦争を知らない若者よ、戦争に巻き込まれるな」とあり、「戦争を知らない大人達」が、日本の国を「戦争へ戦争へ」と追い立てているように思います、と書きだしている。全く同感で、現代は私と同世代かより若い世代の人たちが、緊張が増大しつつある東アジアの4つの国のトップに立っている。息子よりも若い指導者もいる。これらの4人が先に亡くなられた南アのマンデラ大統領の葬儀に参列したとは聞いていない。その志向するところは偉大な大統領とは真逆のように思えてならない。

 ところで戦争を知らない世代が大半のこの国で、今年は「ゼロ戦」がおおいに話題になった。宮崎駿監督の映画でも、最近は『永遠の0』という映画も封切られている。残念ながらまだ見ていないので感想は書けないが、かつて柳田邦男著のノンフィクション、『零式戦闘機』『零戦燃ゆ1~6』(いずれも文春文庫)を読み、そして日本の戦闘機乗りの撃墜王(エース)と言われた坂井三郎氏の『大空のサムライ正・続』(光人社)などに親しんだ者としては、どう零戦を描いているのか興味のあるところだ。その坂井氏ご自身は反戦・平和を強く唱えていたという。

 『青山学院と地の塩たちー建学の祈りと21世紀への祈りー』(青山学院大学プロジェクト95.・編)によれば、あとがきにおいて、このプロジェクトの責任者であるA先生がこう書いている。「・・氏は青山学院中学部を1年半で中退して海軍へ。しかし青山学院教育が彼の人生を変えたという。『真実はどんな恥部でも語らなければならない。もし歴史が国の将来を秩序づけるものであるとするならば、真実を残さねば未来を誤ると思ったからです。』これが坂井氏の『零戦シリーズ』に通底する歴史観であった。・・右翼の街宣車に脅迫されながら『昭和天皇には戦争責任がある』と発言し続けた。真実の前には何物にも恐れることなく戦争の愚かさを告発し続けた。坂井は単なる『エース』ではなかった。人間としてもまさに『エース』であった。・・」と記されている。

ご高齢の方々の直接的戦争体験の生きた証言に、謙虚な思いで耳を傾け、国家や民族間の緊張増大ではなく、平和的な共存への道を拓くことにさらに祈りと思いを篤くし、日々の小さな努力を重ねてゆきたい。

坂町坂だより NO.314


 
 毎年のクリスマス祝会では、いつも素敵なお話しを聞かせてくださるI姉がこの10月に新しい本を出版された。個人的な思い入れではあるが、I姉を全く存じ上げない釜石時代、小さな絵本『マローンおばさん』(こぐま社)によって、とても辛く悲しい出来事を乗り越えるために、大変深く慰められ癒やされた経験がある。その作者が当教会のI姉であり、今回の『子どもに語る日本の神話』(こぐま社)の再話者である。

 再話者というのはあまり聞きなれない言葉であるが、I姉は優れたおはなしの語り手であり、語り手の指導者でもある。本著の帯にはこう書かれている。「・・耳で聞いてイメージしやすい再話です・・元々は語りであったという『古事記』の“物語”としてのおもしろさを子どもに伝えたい、と古事記研究の第一人者とベテランの語り手が協力。読み聞かせやお話会に最適な再話が実現しました。古事記入門として大人も楽しめます。解説付。」もう一つが「・・神さまたちにも、人間らしいところがある!?・・国を生み、天地をまたにかけて往来するパワフルな神さまたち。けれども駄々をこねて泣きわめいたり、兄弟で争ったり、だましたりだまされたりと、意外に人間くさい振る舞いもあって、今を生きる私たちのルーツを見るようです」と書かれている。まったくその通りの面白さを十分に味わえる一冊である。

 特に日本の神話が、物語としてではなく、天皇制を支える「歴史」として利用された時代や役目を知る者には、あまり近づきたくない分野である。しかし今回の古事記のお話しを通して、むしろ古い神話の世界が有する豊かな世界を知る機会になった。何より漢字文化が入ってくる以前から、語り部たちによって「口伝」により伝承され、人々は耳から入る音によるイマジネーションの世界として共有していたことを学んだ。この本の素晴らしさは著者たちの的確な「解説」にある。これまでの誤解を正し、より深く神話や物語を理解する上でとても助けになった。

 この本のシリーズには世界各地の昔話がラインナップされている。昔話や神話の世界が、豊かな物語性と人々の営みを背景に作られてきたのだと思う。聖書にも神話が含まれるし、クリスマスはまさに不思議な神話的物語でもある。大切なのはその意味と出会うことである。

2013年12月17日火曜日

坂町坂だより NO.313


 
 教会は今年地域への関わりを深める試みとして、U姉親子を講師に迎えて「ハンドメイドクラブ」と「書の教室」を始めた。ハンドメイドクラブはオルガン奏楽者でもあるU姉の別な賜物(タレント)を垣間見る思いがする。手作りのカードや小物など、その作品は十分に商品化できるレベルの完成度であり、バザーに出品されたクリスマス・カードは完売となり、この時期追加をお願いしているほどである。これまで2回開催されたクラブの3回目以降の持ち方を考えなければと思っている。

 もう一つの「書の教室」は順調に回を重ねている。5月からスタートしすでに7回目が開かれた。御近所の方がお二人参加されている。教会員も8名が登録している。10人の「生徒」が全員揃うことはないが、大体いつも6~8人が出席し、真剣な姿勢で筆を持ち半紙に向かう。我々夫婦が一番年下だから平均年齢はかなり高いのだが、生徒になり教えて頂くと言うことがとても新鮮で気持ちが良い。個人的には毛筆は説教の看板書きや、週報発送や手紙のあて名書きを筆ペンでしてきたことから、書は嫌いではない。しかし塾で先生に習ったのは小1の頃、実に50年以上前のことである。故にこれまで我流で書いてきた過ち、筆ペンではない毛筆の運びなど、反省と新たな学びが次々と出てくる。

 教会が地域に開かれてあり、伝道礼拝やバザーだけでなく週日も活動していること。また防災と減災の観点から、地域の方との「共助」の在り方は大変重要であると思っている。御近所にどんな方々が住んでいるのか。教会との関係はどうなのか。匿名性の都会にあってこの坂町地区は御近所関係がまだ残されている。緊急時には互いに助け合わねばならないし、こちらも助けて頂くことが起こりえる。建物の補強などのハード面の対応や防災グッズの準備だけでなく、御近所との関係性の構築が不可欠で、これまでもそのための努力を払ってきたつもりだ。

 そんな書の教室に御近所に住む就学前のH君が体験的に参加した。おばあちゃん同伴が条件であるが、1回目の体験教室は概ね良の感じで、本人も次回を約して帰って行った。彼が加わると平均年齢は一気に若返る。彼にも祖母の世代の人たちが真剣に書を習っているという雰囲気を味わうだけでも意味がある。新年はまさに書き初めとなる。

2013年12月13日金曜日

クリスマス礼拝のご案内

クリスマス礼拝

12月22日(日)午前10時15分~(子どもたちと一緒の合同礼拝)
説教 「飼い葉おけのなかに」太田牧師
聖書 ルカによる福音書2章1~20節
讃美歌21-24224626026178264
 
礼拝後に、クリスマス祝会があります。どなたも参加できます。




クリスマス・イブ燭火礼拝

 

12月24日(火)午後6時~
説教 「光は闇のなかに」
聖書 マタイによる福音書2章112節
   ヨハネによる福音書1章118節
讃美歌21-242443256265271264
オルガン独奏「キャンドルライト・キャロル」ラッター
 

坂町坂だより NO.312


 
 久しぶりに甲府市を訪ね、山梨県立美術館で行われている「生誕100年萩原英雄展」を見てきた。すでに教会員の何人かの方々がわざわざ足を運んでくださり、娘のギャラリートークを聞いてくださった方もある。とても良い企画展で、素晴らしいとの感想を頂いていたので親としても楽しみであった。山梨県立美術館は広い公園敷地に文学館などと一緒に建っている。空間的にゆったりとした印象を与えるレンガ色の落ち着いた建物である。当日は初冬ではあったが温かな日差しの気持ちの良い朝で、公園内の写生を楽しむ方々や散歩を楽しむ方々と挨拶を交わしながら特別展に向かった。

 萩原英雄氏は1923年生まれ、2007年没という94歳の長命であり、晩年近くまで精力的に制作活動を続けた版画家である。その制作数はかなりの量になる。今回はその内約180点の代表作を網羅している。作家の地元ということもあり、今後萩原氏を論ずる上で一つの目安となるように企画されていると思われた。代表作として有名な「三十六富士」「拾遺富士」「大富士」は最後に配置されているのだが、そこにたどり着くまでに数多くの作品を見てゆくことになった。

 そのなかで氏は戦後間もなく結核に苦しみ、都内の療養所に3年余を過ごし、そこで聖書に出会い、キリストの生涯をテーマにした作品群を制作している。キリストはガイコツとして描かれているが、氏は療養所の仲間たちを指導し、絵画制作を通して共に病気に立ち向かったことを知った。いつも自らの死を深刻に見つめ続けた日々があったのだ。深い闇の世界に向き合いつつ、そのただなかで命の意味を問いかける歩みがあった。その他にもギリシア神話の作品群やイソップ物語の世界、その長い制作活動を貫く新しい版画の表現法へのあくなき挑戦の日々など、芸術家の創造的なダイナミズムが感じられた。それらの作品を通して生きる力や人生の意味を問う作家の力強い生き方に出会った。
 今この国を覆う「秘密」や「原発」の暗い闇。その対極にあった南アフリカに希望の光を灯したマンデラ大統領の死去。まさに深い闇の時代であるがゆえに、その闇を直視しつつ乗り越える知恵と力を得たいと思う。イエス・キリストの誕生の出来事に出会うことによって。

2013年12月4日水曜日

2013年12月8日 礼拝案内



午前10時15分

 
アドベント第2主日

 
説教 「ことばの内に命があった」空閑厚憲牧師

 
聖書 ヨハネ65259

讃美歌21 242、23724139428
交読詩編 19:1~7

招 詞  アドベント第2「平和」

坂町坂だより NO.311


 

 偶然ではあるが、この坂町坂だよりもこれまでに「311回」と地道に回を重ねてきたが、あの「311」の直後は書くことができず、空白の数週間があった。きらびやかな繁栄のすぐ傍に巨大な暗闇、破局の扉が大きく開いている事を痛感し、あの時期言葉が出てこなかった。

 「311」以降、第1回目の岩手行きは北支区総会会場から見送られて、物資を満載した車で妻と二人での北上だった。悲壮感・使命感・不安感などが入り混じった複雑な心境で、ようやく通れるようになった東北道を走った。震災後2週間余りの沿岸各地の惨状を目撃し、多くの友人知人たちの圧倒的な体験と悲劇とを数多く聴くことになった。奥羽教区に26年お世話になった者として、岩手の被災地支援に集中し、被災教会支援はもちろんのこと、幼児施設・友人の漁師・知己の商店や水産加工場、印刷出版社などの支援、更に東京で出会った仲間やドイツ語福音教会、その他の方々の支援を繋ぐ役目を精一杯担わせて頂いた。

 あれから2年8ヶ月が経ち、先週は18回目の岩手行となった。東京~盛岡へは新幹線で、その後はレンタカーで宮古・大槌・釜石・尾崎白浜・遠野・日詰・盛岡を単独で走り回った。2日間で321km。訪ね歩いたのは20数ヶ所、お会いした方々は下ノ橋教会での説教応援も含めれば80人程になる。北支区から託されたクリスマス献金を4つの幼児施設に届け、他にはささやかなお土産を持参したが、途中からはまるで民話の「わらしべ長者」のようになった。これは行くたびに毎回繰り返される光景でもある。再会の喜びとお互いに覚え合い、祈り合っているという信頼と好意が相互に伝わり、豊かな恵みの分かち合いになる。

 だが被災地の疲労感は深く重い。東京オリンピックが決まったことによって撤退するゼネコンまで出てきたという。資材と人件費の高騰を招き、人手不足や一部業者の横柄さなど、被災地復興の妨げ以外の何物でもない。保育園舎入札が2度不調になり、子どもたちのための春の新園舎が1年遅れになってしまった。保育園園長のF姉をはじめ、これまで必死に頑張ってきた方々が心身の疲れを強く訴えておられた。

2013年度の年間聖句を改めて心に覚え、クリスマスの希望と平和、愛と喜びを、この年も共に心から祈りたい。

坂町坂だより NO.310


 
 何と壮絶な人生なのだろう。そして何と直向きな人生なのだろう。

私の小欄に書くことなどは申し訳ないような思いであるが、『信徒の友』誌10月号の新刊案内にあった一冊を購入し、圧倒的な迫力にたじろぎながら読了した。本の紹介者は今回北支区から派遣されて説教応援に出かける下ノ橋教会の牧師で、奏楽が大変上手な若手のM先生である。本は『交響曲第一番~闇の中の小さな光~』(幻冬舎文庫・571円+税、20136月)。著者は佐村河内守(さむらごうち まもる)氏。本と共にCD「交響曲第一番《HIROSIMA》」も購入したが、ともかく本を読んでからCDを聴くことにした。

 広島の被爆者である両親、その被曝2世として1963年生まれの彼は4歳から母親よりピアノの英才教育を受け、厳しい指導に鍛えられて10歳でベートーベンやバッハを弾きこなす。母から「もう教えることはないと」告げられて以降、作曲家を目指し、最終的には交響曲の作曲を目標に。中高生時代は「音楽求道」に邁進し、あらゆる音楽知識、技法を独学で習得。だが17歳の時から障がいを発症し始め、原因不明の偏頭痛に苦しみ出し、聴覚障がいに怯える。高校卒業後、現代音楽の作曲法を嫌って音楽大学には進まず独学で作曲を学ぶが、生活は放浪に近い状況に。1988年人生の大きな飛躍を前に最愛の弟が交通事故死。その不条理に打ちのめされながらも、聴力の低下の中で劇伴作曲家として作品を発表。映画「秋桜」、ゲーム「バイオハザード」などの音楽を手がける。ゲームソフト「鬼武者」の音楽担当として注目されるが、この時期に完全に聴力を喪失し全聾となった。

 心身の症状は重症化し、耳鳴り発作、轟音が鳴りやまぬ頭鳴症、重度の腱鞘炎、さらに抑鬱神経症、不安神経症に苦しみながら、内なる心に聴こえる絶対音感だけを頼りに壮絶な作曲活動を続ける。全聾になってからそれまでの12番までの交響曲を全て破棄し、新たな1番の作曲に取り組む。その過程で障がいを負った子どもたちとの出会いから生きる希望を与えられる。余りにも深い絶望的「闇」の日々、そしてそのなかでのみ聴くことのできる「闇の音」、それが想像を絶する戦いであるがゆえに、読む者、そして聴く者の魂を激しく揺さぶって止まない。

坂町坂だより NO.309


 
 日本クリスチャン・アカデミー(NCA)の講演会、シリーズ「今、哀しみの最前線で」の2回目に参加。裏方としてプロジェクターと携帯スクリーンの資材協力という実際的なニーズがあるので休むことができにくい。豊かな内容に比して、残念ながらいつも少人数・・・。

 今回の講師は、埼玉医科大学国際医療センター精神腫瘍科教授の大西秀樹先生。1986年横浜市立大学医学部卒の精神科医で、藤沢病院精神科、横浜市立大学精神科講師、神奈川県立がんセンター精神科部長を経て、2006年埼玉医科大学精神腫瘍科教授に、2007年から現職。専門領域は精神腫瘍学、死生学。テーマは、「愛する人をなくして 遺族外来の現場から」という主題での素晴らしいお話であった。

 チラシには、「永年生活を共にしてきた家族を失うことは、その時の悲しみだけではなく、直後からあるいは年月を経て心の変調をもたらします。終末期の本人だけではなく、家族がこれとどう向き合うかをご一緒に考えます」と書かれており、また先生の紹介には、「患者家族のための『家族外来』、そして見送った家族のための『遺族外来』。これらの働きに先駆的に取り組み、人々と出会ってこられた」と書かれている。その出会いと別れが日常的に繰り返される「緩和ケア病棟」において、生と死を見つめつづけ、年間約100人もの患者さんとの別れと、その数倍の遺族との厳しい関係を、率直にお話し頂いた。
 精神科医の先生は、心のケアの重要性を様々な局面で痛感されてきたという。人は肉体的な傷や疾患で苦しむだけではなく、心が壊れてしまうような重い悲しみを背負っており、心のケアを失えば人生そのものが変わってしまう。末期癌という患者さん達の限りある命を精一杯支え、苦しみ嘆き、その喪失感と痛みを克服できない家族や遺族の傍らに立ち続ける。先生が出会ってこられた多くの患者さん達の実際の人生をお聴きしながら、私たちも出会い、別れてきたたくさんの方々とのことを思った。幸いなことにキリスト教は、死の問題を私たちの人生の重要な事柄として、直視し向き合う宗教である。だが日本人の多くはまだまだ死を人生の一部と捕えられないという。死を考えることは、生を大切にすることである。キリスト者のお医者さんの活躍にエールをと思った。

坂町坂だより NO.308


 

 教会の庭には1本の大きな柿の木がある。M名誉牧師の母上が植えられたと聞いている。30数年前に3本植えたものらしいが、そのうちの一本が大きくなり、現在では6mを超える樹高になっている。最近の結実の傾向としては、隔年での豊作・不作のペースとなっている。今年はその豊作の年に当たるが、各地で見かける柿の木も豊かな実りを見せている。要するに豊年ということになろうか。夏から秋にかけて実ったイチジク取りに続いて、この柿の実の収穫が我々の大事なお仕事になる。

 というのも、ほっておくと柿の実は熟してしまい、柔らかいところを鳥たちが啄み、その後熟しすぎて地面に落下してくる。熟しすぎて崩れた柿の実は掃除も大変である。一方柿の実は同時に完熟とはならない。固い実もあれば丁度良い固さと色づきのものもある。その時々の色合いを見ながら柿の実取りを行う。一昨年は1000個近く生ったように思うが、今年はその半分くらいだろうか。その分大きめの実が揃っているように感じる。

 だが収穫はなかなか大変である。脚立に登って届く範囲は問題ない。また伸ばすと3mになる高枝バサミを使っての収穫も何とかなる。その次として、脚立に登っての高枝バサミは結構な体力と技術を必要とする。高枝バサミの使用説明では禁止事項になっているが、6m先の実に迫るには、脚立の上に跨り、枝の隙間からほぼ垂直に高枝バサミを伸ばし、枝ごと切り取り、大きな弧を描いて地上に下ろす必要がある。首と肩と腰が痛くなり、時に失敗して落下する柿の実を受け止めることもあり、還暦過ぎには少々アクロバティックな作業となる。挟み具合が悪くて落果し、亀裂が入ってしまうものも必ずでてくる。地上に降ろし、妻が枝と葉を切り離し、二人でできるだけ布で表面を磨く。するとツヤが出て来て、より美味しそうに見える。
 だがこの冬、高めの枝をある程度切り落とそうと考えている。せめて5m以下にしておかないと収穫作業ができない。これ以上樹高が上がりこちらの年齢も上がってゆくと、危険性の増大につながる。美味しいものを頂くには、お百姓さんや漁師さんと同様に、それなりの苦労が伴うものである。収穫感謝のもう一つの意味がそこにあると思う。

坂町坂だより NO.307


 

 先週の日曜日の午後、当初は台風の影響が懸念されるなか、幸いにして台風一過の好天に恵まれて教会バザーを開催することができた。今年も被災地支援を掲げて、三陸・釜石から海産物を取り寄せ、美味しい香りを漂わせながら、無事に開くことができて本当に感謝である。

 9月末の伝道礼拝後、長老会ではバザー開催を決めたものの実行委員会はなかなか開かれず、準備不足でどうなるのか少々心配もあった。ようやく2週間前になって、リサイクル品が集まりだした。今年の傾向としては、生活雑貨のリサイクル品は少なく、一方で中古衣料がかなりの量になったことである。さらに大きな悩みは例年通り、バザー前日と当日の人手不足の件であるが、今年は教会員以外の方々特に若い人たちの協力に大変助けられた。近隣教会からも応援に来て頂き、私たちの教会も教会間の豊かな交流のなかで支えられていることを改めて感じさせられた。実際にあちこちの教会で、バザーを開催する側の人手不足に悩んでいるのも事実である。

 私は野外担当だったので、内部の会場作りには加わらなかった。皆さん既に手なれたもので滞りなく設定も完了。野外の方は朝からテント張り、大漁旗の設置などを済ませ、昼は消防署への電話連絡から始まり、バーベキューコンロ設置に着火が仕事。下準備と最初の作り方の説明をして担当の若い方々、CSのお父さんに後をお願いした。コンロの片方では「焼そば」、もう一方は釜石の新鮮な「ホタテのしょう油・バター焼き」、それと「イカのポッポ焼き」である。イカは釜石ヒカリフーズさんから下処理した冷凍スルメイカを50杯購入し、前日に生姜・醤油・酒の付け汁に入れておいたものだ。これらの香ばしい臭いが風に吹かれてご近所中に流れてゆく。始めは例年になく人出が伸びなかったが50m先にある改革派教会の皆さんが団体で初めて来訪して下さり、美味なるものに舌鼓を打ち出した頃から、客足も増えて来てホタテもポッポ焼きも注文が次々と入り、結果完売することができた。

昨年に続いて番町教会から頂いた品も含めて、残ったリサイクル品は王子教会のバザーのために引き取られて行った。眠れる品物の活用だけではなく、新たな出会いと交流がバザーのお恵みでもある。

坂町坂だより NO.306


 
 人生には予測もしないことが起こるものである。バザーの準備に追われていた週の中盤、茨城の田舎に住む身内が交通事故で亡くなるという訃報が届いた。早朝の散歩の途中での事故だった。大きなショックであったが、直ちに駆けつけ、連日の葬儀に向けたお手伝いとなった。後半は接近する台風の動向に気を揉み、葬儀のことでの往復に疲れも溜まってきていた。更に日常業務に追いかけられていると、今度は教会バザーのポスター掲示を巡って、再びの難題が発生した。詳しくは書けないがこのポスター対応で結構胃が痛み、背中も痛くなった。心も深く傷ついた。今後第3幕もあり得ると予測している。そんなポスター受難のバザーではあるが、台風27号の大雨の後、秋晴れの日曜日にご近所の方々と楽しく持てそうである。そうなることを心から祈ろう。

 という訳で、落ち込んだ気分を癒やし、心を晴れやかに整えてくれるのは、素晴らしい人物の珠玉の名言である。先日入手した『熊田千佳慕(くまだちかぼ)の言葉 私は虫である』(求龍堂・20104月)の細密画と童画と、その数々の言葉が素晴らしい。1911年(M44)生まれ、2009年に98歳で亡くなっているが、本当に凄い方である。

 「よく親父に言われました。乞食になっても王様になっても、愛は忘れるなって」から始まる1冊。「僕の絵具箱には白と黒の色がない」「黒は闇を支配する神の色。いろいろな色を混ぜ合わせれば黒になる。だから黒も使わない」「・・光は神でしょ。だから白は使わない。紙の白地を残してそれを表します」また「愛・・愛は感じるものであり、言葉ではない。愛は感じるもので、無言である。美は感じるもので、言葉ではない。美は感じるもので、納得するものではない。美は感じるもので、無言である。美は感であり、智ではない」と歌う詩人でもある。

 1本の鉛筆しか持たず消しゴムを持たない画家は、「見て、見つめて、見きわめる」画法を「啓示」されて描いてゆくが、暮らしぶりは極めて貧しいものであった。それを自ら「ビンボ―ズ」と複数形にして境遇を笑ってしまう。夫人のご苦労は想像を超えているが、70歳の時にようやく世界に認められた。90歳を超え、尚ピュアーな魂から生み出される世界は、命あるものへの限りない優しさと愛に溢れている。

2013年10月18日金曜日

2013年10月20日礼拝案内


午前10時15分
 
聖霊降臨節第23主日

 
説教 「人生の旅人として」太田春夫牧師

 
聖書 使徒言行録21:1~16

   ルカ福音書22:39~46

讃美歌21 21、55、155、504、91

交読詩編 19:1~7

招 詞 931-8

2013年10月7日月曜日

坂町坂だより NO.304


 
 先日次女から『遺体~明日への10日間』というDVDが送られてきたことを、この便りのなかで書かせてもらった。その中身について長女と確認のやりとりをしているなかで、彼女が原作を購入し、一気に読み終え、それを携えて東京に来て伝道礼拝に出席した。山梨に戻る際に原作とDVDを交換した。直後から引き込まれるように原作を読んだ。

 圧倒的な迫力と深い感動、心が揺さぶられる強い衝撃を覚えた。DVDとは比較にならないその現実の厳しさと想像を絶する現場の状況が思い浮かぶ。若いルポライターの緻密な取材に基づく生々しい証言の数々。50人以上の方々から話しを聞いたそうだが、本に登場するのは10数人である。しかしそれらの方々は全員が実名で記されており、釜石時代には何人もの方々と交誼を重ねてきた。彼らは圧倒的な数の死者たちを前にして、震災直後から戦場のような現実に直面する。死者たちの多くが知己や親戚、親友・友人関係という極限の状況下で、黙々と死者たちを葬るために夫々がなすべきことを全力で果たしてゆく。その姿にはただただ頭が下がるだけである。私の知己の方も何人も亡くなっているが、私には何ができただろうかと自問してみる時、全く自信がない。

 DVDを遥かに超えた原作の迫力とはいえ、本の文章からは、立ちこめる臭いもせず、泣き叫ぶ声もすすり泣く嗚咽も聞こえるわけではない。ご遺体の冷たさが感じられるわけではない。夫々の現場がどれほど凄かったのかを私たちは想像するのみである。
 しかし若いルポライターの石井氏は、それらの厳しい極限の現実の前で苦闘する方々が、同郷で同じ町内に住んだ仲間への深い愛、限りない優しさ、冷静な決意に基づいていることを随所に感じさせる文章で書き綴っている。医師のK先生は、父親が2度の釜石艦砲射撃で亡くなり負傷した万を超える人々を検案・治療した医者であり、2代にわたり極限を経験されている。体型は私と同じくらいである。だが石井氏は「大柄の明るい男」と記す。K先生はそれだけの存在感があり、人物の大きさを感じさせる方なのだ。被災地に関わるに当たり、限りなく謙遜に謙虚になるべきを改めて示された。素晴らしい釜石人賛歌の本でもあり、弔うことから始まる復興の一歩を忘れてはならないと学ばせて頂いた。

2013年10月13日礼拝案内


午前10時15分
 
聖霊降臨節第22主日

 
説教 「試練に向かって」太田春夫牧師

 
聖書 使徒言行録20:1724

   コロサイ215

讃美歌21 195119746592

交読詩編 311521

招 詞 9317

坂町坂だより NO.303


 

 先週の伝道礼拝には、駒場エデン教会の名誉牧師にして、小野派一刀流第17代宗家、弁慶が使っていたような大長刀直元流宗家、居合神無想林崎流宗家の笹森建美先生をお迎えすることができた。先生は近年のご病気のために体調が万全ではなかったけれども、青学大神学科の後輩が働く教会のために、大変豊かなお話を分かり易くしてくださった。

その著書『武士道とキリスト教』(新潮新書・2013・680円+税)においても記されているが、1000年来伝わってきた武士道の精神的遺産とキリスト教信仰とが多くの共通点を持ち、また優れた倫理としても互いに響き合うものを有するという事実を、豊富な知識を網羅しながら丁寧に語って頂いた。特に明治初期のキリスト者たちが、武士階級からキリスト者となった経緯、それは現在のNHK番組「八重の桜」などでもお馴染みになっているために、背景と思想的系譜を理解する上で、とても示唆に富み助けになるものであった。日本的な素晴らしさを受け継ぎながら、同時にその限界と課題を相対化し、主イエス・キリストにある救いの希望を豊かに証ししてゆくことを教えて頂いた。

懇談では、今日の柔道界やスポーツ界に露見している暴力的な体質と武士道の違いをお聞きした。先生の説かれる「武道」の精神とは相反するものと思われるからだ。しかし会員の93歳のO氏が、ご自分の若き日の武道体験や軍隊の凄まじい暴力体験から日本人の悪しき体質を話してくださり、今日もどのようにして私たちの人間の持つ暴力性を乗り越えて行くのかを、課題として問い直す機会も与えられた。
しかし何よりの驚きであったのは、先生のお連れ合いのA姉が、かつてこの千代田教会の隣人であったという不思議なご縁(摂理)である。初代牧師の白井先生の頃、文字通り教会のお隣のご家族として住んでおられた。礼拝にも出席された妹さんは、幼児の頃教会の境にある塀から落ちたことまで明かされた。先生も婚約中に隣家に通われていたとも。その妹さん夫妻や、ご近所の幼なじみの方々にもA姉からご案内頂いたので、ご近所からの出席者も与えられ、豊かな歓談のひと時が持てた。私はその事は直前まで本当に知らなかった。ご本を読んでお招きしたいと思っただけ。やはり不思議な縁・摂理と言えるのではなかろうか。