教会の庭には1本の大きな柿の木がある。M名誉牧師の母上が植えられたと聞いている。30数年前に3本植えたものらしいが、そのうちの一本が大きくなり、現在では6mを超える樹高になっている。最近の結実の傾向としては、隔年での豊作・不作のペースとなっている。今年はその豊作の年に当たるが、各地で見かける柿の木も豊かな実りを見せている。要するに豊年ということになろうか。夏から秋にかけて実ったイチジク取りに続いて、この柿の実の収穫が我々の大事なお仕事になる。
というのも、ほっておくと柿の実は熟してしまい、柔らかいところを鳥たちが啄み、その後熟しすぎて地面に落下してくる。熟しすぎて崩れた柿の実は掃除も大変である。一方柿の実は同時に完熟とはならない。固い実もあれば丁度良い固さと色づきのものもある。その時々の色合いを見ながら柿の実取りを行う。一昨年は1000個近く生ったように思うが、今年はその半分くらいだろうか。その分大きめの実が揃っているように感じる。
だが収穫はなかなか大変である。脚立に登って届く範囲は問題ない。また伸ばすと3mになる高枝バサミを使っての収穫も何とかなる。その次として、脚立に登っての高枝バサミは結構な体力と技術を必要とする。高枝バサミの使用説明では禁止事項になっているが、6m先の実に迫るには、脚立の上に跨り、枝の隙間からほぼ垂直に高枝バサミを伸ばし、枝ごと切り取り、大きな弧を描いて地上に下ろす必要がある。首と肩と腰が痛くなり、時に失敗して落下する柿の実を受け止めることもあり、還暦過ぎには少々アクロバティックな作業となる。挟み具合が悪くて落果し、亀裂が入ってしまうものも必ずでてくる。地上に降ろし、妻が枝と葉を切り離し、二人でできるだけ布で表面を磨く。するとツヤが出て来て、より美味しそうに見える。
だがこの冬、高めの枝をある程度切り落とそうと考えている。せめて5m以下にしておかないと収穫作業ができない。これ以上樹高が上がりこちらの年齢も上がってゆくと、危険性の増大につながる。美味しいものを頂くには、お百姓さんや漁師さんと同様に、それなりの苦労が伴うものである。収穫感謝のもう一つの意味がそこにあると思う。
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