2013年12月4日水曜日

坂町坂だより NO.311


 

 偶然ではあるが、この坂町坂だよりもこれまでに「311回」と地道に回を重ねてきたが、あの「311」の直後は書くことができず、空白の数週間があった。きらびやかな繁栄のすぐ傍に巨大な暗闇、破局の扉が大きく開いている事を痛感し、あの時期言葉が出てこなかった。

 「311」以降、第1回目の岩手行きは北支区総会会場から見送られて、物資を満載した車で妻と二人での北上だった。悲壮感・使命感・不安感などが入り混じった複雑な心境で、ようやく通れるようになった東北道を走った。震災後2週間余りの沿岸各地の惨状を目撃し、多くの友人知人たちの圧倒的な体験と悲劇とを数多く聴くことになった。奥羽教区に26年お世話になった者として、岩手の被災地支援に集中し、被災教会支援はもちろんのこと、幼児施設・友人の漁師・知己の商店や水産加工場、印刷出版社などの支援、更に東京で出会った仲間やドイツ語福音教会、その他の方々の支援を繋ぐ役目を精一杯担わせて頂いた。

 あれから2年8ヶ月が経ち、先週は18回目の岩手行となった。東京~盛岡へは新幹線で、その後はレンタカーで宮古・大槌・釜石・尾崎白浜・遠野・日詰・盛岡を単独で走り回った。2日間で321km。訪ね歩いたのは20数ヶ所、お会いした方々は下ノ橋教会での説教応援も含めれば80人程になる。北支区から託されたクリスマス献金を4つの幼児施設に届け、他にはささやかなお土産を持参したが、途中からはまるで民話の「わらしべ長者」のようになった。これは行くたびに毎回繰り返される光景でもある。再会の喜びとお互いに覚え合い、祈り合っているという信頼と好意が相互に伝わり、豊かな恵みの分かち合いになる。

 だが被災地の疲労感は深く重い。東京オリンピックが決まったことによって撤退するゼネコンまで出てきたという。資材と人件費の高騰を招き、人手不足や一部業者の横柄さなど、被災地復興の妨げ以外の何物でもない。保育園舎入札が2度不調になり、子どもたちのための春の新園舎が1年遅れになってしまった。保育園園長のF姉をはじめ、これまで必死に頑張ってきた方々が心身の疲れを強く訴えておられた。

2013年度の年間聖句を改めて心に覚え、クリスマスの希望と平和、愛と喜びを、この年も共に心から祈りたい。

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