2014年3月30日日曜日

坂町坂だより NO.327


 

 先週のこの欄に、渋谷での脱原発の「ママデモ」について書いたが、紹介だけでは裏付けに欠けるので妻と二人で一緒に参加した。たまたま教会での集会も終わったところであり、お天気にも恵まれていたので出かけることにした。脱原発の金曜デモにも、また他の脱原発集会にもなかなか都合がつかず参加できないことが多い。だから今回のママデモの事を論評することなどできないが、やはり初めてのママデモは少々こころもとなかったように感じた。しかし、このデモの企画から開催までの準備や手続き、安全に行うための応援の要請・打ち合わせ等々、初めてゆえのご苦労がたくさんあったことを想像しながら歩いた。

 主催者発表では約500人の参加者。ママたち、子どもたちが先頭に立ちバギーの幼児やパパ達が続いた。女性が大半であるが、私たちのような孫のいる中高年層が後列を歩いた。全体は2つのグループに分かれ、交通規制の警官に守られ、デモ行進の補助をする男性陣にも助けられてゆっくりと歩いた。参議院議員1年生のY氏も参加し、道行く人々に主旨を説明し、繰り返し脱原発を訴えていた。

 孫のような幼児も含め、周りにはお祖母ちゃん、お祖父ちゃんたちが幾組も歩いていた。渋谷駅から青山通り、母校の前を通り左折して表参道ヒルズの前、明治通りへ曲がり公園で解散というルートで、1時間半程で約1万歩を歩いて無事に終了。日曜の夕方、多くの若者たちで賑わう交差点を歩道ではなく、道路上から歩いて見ることの意味を思わされた。それは「視点の転換」という大切な経験であった。

 家庭の食卓においても時には座る場所を変えてみる。すると見えてくる「世界」が変わってくる。固定化しやすい私たちの視点、観点を時に変えてみる。礼拝堂の座席の位置も変えてみること。便利で快適な、大量消費やブランド志向の大都市文明を、様々な生産で支えている地方と交流して視点を変えてみること。エネルギーを生み出し、廃棄物を受け入れている地域に行ってみること等。国や民族の問題でも同じことが言えるだろうし、今回のママデモが成し遂げたのは、ママたち自身による視点の転換という挑戦であった。今までは歩道で眺めていた自分たちが、未来である子どもたちと一緒に道路に立っていたのだから。

坂町坂だより NO.326


 

 先週「3・11、映画と祈りの夕べ」を開催したが、この週は東京教区北支区においては大変珍しく、我々の『遺体』の上映会に続いて、お隣のエパタ教会での上映会が14日、早稲田教会での上映会が15日に組まれていた。さながら「北支区映画週間」のようであった。

 エパタの上映会は、ドキュメンタリー映画『赤貧洗うがごとき~田中正造と野に叫ぶ人々~』で、日本基督教団東京教区部落解放5支区代表者会・西東京教区部落解放担当の共催によるものだ。当教会の上映会にもいくつもの教会から来て頂いたので、金曜夜の上映会に私も参加した。大変硬派の映画であり、かなりマイナーな映画である。参加者は多くは望めないだろう。しかし一人でも多い方が良い。そう思っていたら出発直前、再び釜石の漁師さんから「生ワカメ」がどっさり届いた。そこでその生ワカメを上映会参加者のお土産に。皆さんへのお裾分けと今後の釜石の「復活のワカメ」の被災支援・販売促進を兼ねて持参した。

 「赤貧・・」は2度目の鑑賞になる。釜石時代にも観た記憶がある。

「・・ああ、記憶せよ万邦の民、明治40629日は、これ日本政府が谷中村を滅ぼせし日なるを・・」と記された歴史。富国強兵政策の国家的プロジェクトの下で何が起こったのかを知ることができる。古河による足尾銅山開発とそれに伴う鉱毒被害は放置され、山谷は荒れ果て、渡良瀬川流域は大洪水による被害拡大の悪循環に陥る。その現実に立ち向かった農民と田中正造の闘いの軌跡。「真の文明は、山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし」と鋭く権力を批判した正造は、国家による「棄民」の不条理に立ち向かった。
しかし私たちは「3・11」を経験した後で、正造の生涯を学び直してみると、これは百年前の足尾銅山の鉱毒問題だけではなく、「水俣」と「福島」へと繋がる現代日本の大きな課題であるということだ。命と未来を懸けた闘いの記録である。その闘いはかつてと同じように幅広い裾野の広がりが求められ、一人ひとりの生き方が問われている。23日の午後3時からは、子どもたちを守りたいと願うママたちが、渋谷で脱原発の「ママデモ」を企画しているという。子どもたちの命と未来への切実な願いと祈りは、百年前と深く通底するものであると思う。

2014年3月15日土曜日

坂町坂だより NO.325



 先週はあの「3.11」以来3年ぶりにこの欄をお休みさせて頂いた。土曜日の段階で、体力・気力が限界になっていたためである。

 実は2月末から3月上旬にかけて長老会の承認を得て、初めてのイタリア旅行に出かけた。信徒の友誌の「ようこそキリスト教名画の世界に」欄を1年間連載していた長女が、予てから計画していたイタリアの美術館と諸教会の名画を見る旅に同行したためである。彼女はキリスト教美術を専門とする現役の学芸員である。私は生涯で4度目の海外旅行、欧州は初、JTBの企画する団体の旅も初めての経験であった。

 ダビンチの「最後の晩餐」とミケランジェロの「最後の審判」の両方が見られて、ミラノ・ヴェネチア・フィレンツェ・ローマの4都市を巡り、各地の教会や美術館見学の団体予約がなされ、観光ガイドが付く旅である。上の二つの「最後・・」は、現在個人で自由に見ることが極めて困難と言われている。娘の緻密な計画では途中のオプション観光の時間は、ひたすら教会と美術館巡りが組まれていた。私はただただ娘の後に付いてフィレンツェとローマの町を巡り歩いただけであった。両手では足らない数の教会と美術館などを巡り、何千という絵画や彫刻を見て歩いた。分からないことはすぐ傍の学芸員に聞けば良かった。その上に元々組まれていた美術館に大伽藍巡りである。膨大な量の美術に関する情報が入り込んできたが、まだまだ混乱していて、どこを歩いて何を鑑賞したのか整理できていない。

 その旅の2日目、最初の美術館で「最後の晩餐」見学直前に、留守を守っていた妻から訃報が届いた。教会員のI氏が召されたとの報に正直衝撃を受けた。ご親族の訃報と私の旅による不在とが3年連続で重なってしまったからだ。ご自宅にお電話して不在をお詫びし、概要の打ち合わせをしながらも、移動する車中において前夜式と告別式のメッセージをノートに作り始めた。それと並行して各地の名画と大伽藍を巡る旅は新しい出会いや様々な発見と学びを与えられ、無事に帰国。直ちに準備に励み、日曜礼拝に続いて葬儀が持たれ、多くの方々とともに故人を想起し、その信仰の生涯を分かち合うことができたと思う。全力で走り抜けたような2週間、少し落ち着いて受け止め直したいと思っている。

坂町坂だより NO.324


 

 先日TVで山田太一氏脚本によるドラマ、「時は立ちどまらない」が放映された。録画しておいて日曜日の午後、夫婦して涙しながらじっくりと観た。もうすぐあの「3・11」が再び巡ってくる。早くも丸3年が過ぎ4年目を迎える。この間、被災地では何が変わったのだろう。

 ドラマの筋立ては、あの日から5日前の日曜日、二つの家族が婚約の顔合わせをするところから始まる。大学出の才媛で市役所勤めの一人娘、彼女の家族は信用金庫の支店長の父と母と祖母、家族は高台に住んでいた。一方は浜に生きる漁師家族、祖父母、両親、長男と二男の6人家族。

彼女は漁師の長男の嫁として結婚を決意しているが、ただ一つ条件があった。女性の社会進出のために将来は政治家も目指したいというものだった。そのことを巡るやり取りのなかでドラマが始まるが、あっと言う間にあの日がやってきた。浜に住む家族は、祖母・母親・長男が亡くなった。片や全員が無事で、家も車も残った彼女の家族。そこからの展開は痛いほどのセリフのやり取りが続く。とても素晴らしいドラマに仕上がっていると思ったし、さすが山田氏の脚本であると思う。出演者の演技力も光った。彼らの語る言葉の一つ一つは、実際に被災し愛する家族を失った方々の腹の底から絞り出すような叫びを、作家が丹念に拾い集め、言葉にならない事柄を誠実に描き出していると思った。

私自身これまでに20回ほど岩手に足を運んだが、2年目になってもドラマに出てきた鋭い叫びのような言葉を何度もぶっつけられ、また生と死を分けた圧倒的な体験を聴き、その重さの前にただ佇むだけであった。恐怖のような叫びと無言の涙や呻くしかない思いのほんの僅かな部分を聴くことができた。しかしそれができたことを感謝しようと思う。

あの時期、久しぶりに再会すればほとんどの場合誰もが「ハグ」をしていた。日本人の習慣にハグは余り馴染みがなかったように思われる。だが誰もが弱さと深い寂しさを抱えて生きているのだ。自分たちは尚も生かされていて、生きて再会できた、そのことが圧倒的な事実なのだ。先のドラマのなかでも「ハグ」は大きな要素になり、共感と共苦を象徴するものとなる。来る「3・11」の『遺体』の上映会、新たな思いで4年目を迎えるために、共感と共苦の祈りの時としたい。

坂町坂だより NO.323


 
 立春寒波のために一度延期していた庭木の剪定作業。その間に大雪が2度も降り、それがまだ残っていたので再度延期を提案した。しかし作業を担って頂くA兄夫妻は実施を希望されたので、足場となる庭木の周囲の除雪を完全にして当日を迎えた。

 ご夫妻は70歳前後であるが、植栽剪定のセミプロである。農大の生涯学習講座を受講し、世田谷区の小中学校などの庭木の剪定作業をボランティアで行う活動を続けている。ティームに分かれて分担して行うそうだが、かなりの高木も剪定されるという。昨年から教会の雑木や植栽、多磨霊園の教会墓地の植栽剪定の作業奉仕をお願いしている。教会員のA兄は音楽活動も熱心なご一家であるが、剪定現場での出で立ちはまさに職人そのもので、地下足袋、いのち綱、腰帯の道具類が大変様になっている。伸縮型の梯子、脚立を持参され、高所に登り、次々と枝や幹を切り落とす。下ではそれらを受けて、小枝類をより細かくして袋に収めてゆき、大きめの枝や幹は切り分けてまとめてゆく。

 夫唱婦随ならぬ「婦唱夫随」の大変円満な関係に見えるが、その理由は先に夫人が植栽の講習を受けて卒業し一日の長があるとのこと。下からどの枝を切り、どうバランス良く治めるかを指示されながらの作業である。私たち夫婦もそれなりの格好しながら小枝を細かくし、まとめてゆく作業に精を出す。4人で午前中の3時間半みっちりと働いて、柿の木の高い部分、紫陽花の枯れ株、いちじくの幹や枝の7割を剪定した。実はいちじくには大スズメバチがやってくる。小さなお孫さんたちが家族で引越してきた隣家に近い部分はすべて切って頂いた。物干しから高枝鋏で収穫できる範囲を残して極めてスッキリした状態に。隣家にも、牧師の書斎にもこれまで以上に日が当たり明るくなるだろう。

 延べ14時間の労働と作業分担により剪定は無事終了。快い達成感と和やかな昼食を共にした。結果70Lのゴミ袋6袋に小枝等が収まり、焚きつけになりそうなかなりの量の幹や枝が出た。6袋は翌日収集車に、幹や枝は近所のO家が喜んで引き取ってくれた。O家にはこの新宿にも関わらず立派な薪ストーブがある。時々使われるとのこと。まさに焚きつけにもなり、資源として無駄なく用いられることが大変有難い。