2014年1月29日水曜日

坂町坂だより NO.319


 

 数年前から日本クリスチャン・アカデミー(NCA)の関東運営委員会の末席に連なっている。私が関わるところはどうも消長気味のところが多いが、NCAも運営が極めて厳しいようだ。内容的には素晴らしい企画と講師を招いての連続講座や講演会を開催している。しかし実際にはPR不足などもあり残念なことにいつも少人数で赤字続き。NCAの本部は京都にあり公益法人格を取得したのだが、関東は困難な日々が続いている。それでも次年度の企画と予算案を作らねばならない。

 先月の委員会を欠席したので途中経過が良く分からずに出席したが、次年度は委員自身が直接関わる企画などが提案されていた。考えてみれば皆さんいくつかの神学校で教授や講師を務めている方々がほとんどである。ご自身が得意とする分野で、自分たちが楽しみながら学ぶという方向性である。しかもほぼ手弁当という条件。まるで神学校のゼミそのもののような素晴らしい企画に思える。参加者数は度外視し、まず委員たちが楽しく学ぶ機会とすればこれ以上のものはそんなにないだろう。

 プランのいくつかを紹介すると、フェミニスト神学の専門家Y先生の聖書講座「聖書の女性たち」(10回)、日本聖書神学校協賛企画で「『自死』に遭遇した人への慰めとはー牧会の現場から」(5回定員10名)。講師はカウンセリングで著名なK先生、私は聴講と受付で参加することに。同神学校教授Y先生によるキリスト教入門としての聖書講座「マルコ福音書の学び」(5回)。極めつけはT先生による連続読書会8回である。古典で読む20世紀というテーマで『官僚制』マックスウェーバー、『賃労働と資本』K・マルクス、『現代の批判』S・キルケゴール、題名は省略するが続いては、ニーチェ、サルトル、バルト、レーニン、レイチェル・カーソンと超剛速球、ストレート1本勝負の企画である。
 
 これには流石に委員たちもあんぐり。講座のキャパなどもあり、隔月開催にして、その間には「説教と絵本の世界」(仮題)を巣鴨ときわのM牧師、早稲田のK牧師、不肖私も担当し、硬軟織り交ぜての企画となった。その他「キリスト教の周縁を読む」や「まんがで人生を考える」などのアイディアも。リベラルな先生方によるNCAの有終の美となるのだろうか。ここだから出会い、学べるという豊かな恵みである。

2014年1月23日木曜日

坂町坂だより NO.318


 

 成人の日の月曜日、第15回北支区信徒大会が信濃町教会を会場に開かれた。テーマは「信徒のはたらきを考える~被災地から学ぶ」ということで、岩手県の宮古教会からM牧師を招いて開会礼拝のメッセージとして、あの日の出来事とその後の歩みをお話し頂いた。私は13年前の秋、M牧師が宮古教会とのお見合い説教のために、指導教授のK先生とともに来岩された折、釜石から盛岡までお迎えに行き盛岡に1泊。翌日さらに宮古教会までお二人を車に乗せて案内した。また同じ学校法人内の幼稚園を経営する仲間として、岩手沿岸地区の宣教と教育の課題をともに担った仲でもある。今回の震災以降も、沿岸地域の幼児施設支援において可能な限り様々な人と物とを繋いできた経緯もあり、M牧師が語る言葉の一つ一つがとても重く感じられた。お話しもテーマに沿った大変豊かな内容であったと誰もが感銘を持って聞き入っていた。

 分団協議やその後のバザーなどで被災地支援の働きのために北支区が祈りを合わせていること。東京でも小さな教会は多くあり、困難な現場の事情を共有し、互いに顔の見える仲間になろうとする努力が続けられていることなど、信徒大会の意味を思わされたが、参加24教会、出席者110名余は、それがなお途上にあることを示している。だが近隣教会との助け合いは今後ますます重要な課題となってくるだろう。

 夜の講師を囲む懇親会は楽しいひと時となった。M牧師は宮古教会と幼稚園は新しい土地を既に購入し、わずか10名の群れながら新会堂・新園舎建築に向けて大胆な1歩を踏み出したことを、図面を手にしながら説明してくれた。彼とは新会堂・新園舎が防災と減災に十分に配慮し、命を守る建物であることを目指せるようにとこれまでも話しあってきた。エコだけではなく、防災が今日の緊急の課題になっているからだ。
 
 その課題を学ぶために、新宿区主催の防災とボランティア週間講演会に出席した。「確実にやってくる首都直下地震に対して~学ぶべき本当の教訓と今すべきこと」というテーマで、東大教授の目黒先生が話しをされた。関心の高さを示すように聴衆は500人を越えていただろう。結論的には自助・共助・公助は721の割合なので、可能な限り自助に努めて備えよということであった。教会もその備えを求められている。

2014年1月16日木曜日

坂町坂だより NO.317


 

 暮れからお正月にかけて、私の耳に入った訃報や葬儀の情報は片手では足らない程になった。しかも今週は、新たに親戚関係になった家族の訃報が届き、妻が葬儀のために北に向かった。年の初めに次々と訃報に接し、また知己や親戚の葬儀をどう受け止めてゆけば良いのか、思案しながら過ごしている。

 ところで東京に来てからこの数年、青学大神学科同窓会の下働きをずっと続けている。卒業生名簿の最後に名前を連ねている関係で引き受けているが、この37年間後輩は一人もいない。いつも最後で一番若い層になってしまう。その意味で聖書的には主イエスが教えられたように、仕えるようにという立ち位置が変わることなく続いている。その同窓会が協力をし、任意の読書会のグループが主催し神学科関係の「3先生を偲ぶ会」が正月早々に開かれた。私はいわば幹事役である。

 30数人の参加者とご遺族が集い、昨年亡くなられた先生方の人生を夫々に思い起こし、限られた人数ではあったが心からの思い溢れる言葉を語り合った。礼拝の部では、恩師のS先生が人生の終わりは未完であり、それ故に開かれたままで終わることを話された。それを含めて感じたことは、キリスト教というのは、つくづく「言葉の宗教」であるということだ。これまでも親しい仲間や先生方の葬儀において、その語られる言葉に耳を傾けてきた。そして自分でも葬儀の司式者として言葉を語ってきた。私たち人間が語る言葉は決して完全でも完璧でもない。しかし、真実と誠意、愛と思いやりに裏付けられた言葉は、聴く者をして素直に首肯させ、心の深いところで豊かな感動をもたらす。そこには夫々の人生における掛け替えのない出会いがあるからだ。3先生方に出会えたお恵みを誰もが感謝して家路に着くことができた。
 
 神学科が廃科されて37年が経過した。その最後の礼拝で5人の残られた先生方が一緒に讃美歌を歌っている写真が私の手元にある。その内の3人の先生方が天に召された。S先生はその時も「蜘蛛が飛ぶ」という例話を用いて新しい世界に飛翔することを、各地に散ってゆく数人の卒業生に向かって語られた。死もまた未完の人生の開かれた始まりなのかもしれない。未完のままに精一杯この1年を生かされて歩みたい。

坂町坂だより NO.316


 

 先週と手順前後となってしまったが、クリスマス礼拝と祝会のお恵みを報告しておきたい。特に2013年は体調が優れず説教をして頂けなかったM名誉牧師が2ヶ月ぶりに礼拝に出席され、恒例となっているスペシャルクイズを「渾身の力」を注いで出題され、お元気な様子に皆が喜び感謝した。礼拝には御近所の方々や教会員の夫々の友人が参加され、初めての方々も含めて祝会を持つことができた。なかでもCS(子どもたち)の出し物が無事にご披露できたことが大きな感謝であった。

 多くの教会で子どもたちが減少し、またいなくなっている現状がある。当教会も数人の小さな子どもたちとCS礼拝を守っている。スタッフが4人で子どもが1人ということもあれば出席者なしの日もある。クリスマスに向けての準備・練習がほとんどできないことが常態化している。イエスさまの誕生劇ページェントを演ずることなど夢物語である。その夢を別な形で可能にしているのがエプロン・シアターである。

 実は妻の友人S姉から、そのS姉の叔母さんの友人I姉の手作りエプロン・シアターを被災地の幼稚園や保育園に届けたいとの申し出があった。2011年の夏頃大槌のおさなご幼稚園・釜石保育園・千厩教会CSに、「ジャックと豆の木」「3匹ヤギのガラガラドン」など7~8点をお届けし大変喜ばれた。その出来栄えは本当に素晴らしいもので、個人的にも欲しいと思った程である。一昨年そのI姉に、クリスマス・ページェント用のものをと特注させて頂いた。クリスチャンでないI姉にはクリスマス物語をお読み頂き、試行錯誤で完成したのが、日本にただ一つのクリスマス・ページェント用エプロン・シアターである。実際にはエプロンではなく、縦65cm横80cmの四角形の布生地を舞台として、マジックテープで布製の人形を貼り付けてゆく。
 
 12年のクリスマスが初演、13年は妻の友人のS姉も礼拝に来られた。会食後の本番直前に初顔合わせの総練習、まさにぶっつけ本番!台本の朗読、セリフの部分に加え、子どもさんびかを数曲挿入して物語を構成、場面毎に人形を貼り替えてゆく。元長老のA兄には羊飼い姿で讃美歌独唱をお願いし、天使役の牧師と、マリア役のMちゃんとソロやかけ合いを加えた2度目の「公演」は好評の内に大きな拍手を頂いた。