2014年2月19日水曜日

坂町坂だより NO.322



 先週に続いて雪の話題で恐縮だが、今週末も関東は大変な大雪になった。長女の住む甲府では記録的な1mもの積雪となったそうだ。駐車場の車が雪に沈んでいるメールを送ってきたが、東北地方と異なり除雪車などが十分ではないだろうから、慣れない除雪作業に苦労しているようだ。こちらでも金曜の午前中から降り出した雪はかなりの積雪となり、それが朝方には雨に変わった。屋根の雪も一気に落ちてきた。7時頃、玄関から道路までの除雪と側溝の浸透枡までの排水の目安をつけたところで作業を中断。雨脚が強くて、とても続けられなかった。

大雪に大雨、釜石に移って間もない頃の経験が蘇ってきた。全国的には1月中旬に持たれるカトリック・プロテスタントの一致祈祷週間がある。釜石では私の赴任後、カトリック・聖公会・教団の3教会が持ち回りで合同礼拝を守ることにした。ある年大雪が降り、続いて大雨となり道路はグズグズとした極めて歩きづらい状態に。更に今度は寒波が到来し、残った雪の山がほとんど氷の塊となってしまったことだ。

そこは流石に東京である。昼前に雨が止むと、ご近所の皆さんは通常のスコップや雪用のスコップなどを手に除雪作業に出てこられた。私は岩手から持参したスコップを使って、お隣やご近所の除雪のお手伝いを常としている。岩手では当たり前にしてきた。ご近所が助け合う。自分の所ばかりでなく高齢者や他の方々の所まで除雪する。坂町のこの一角にはそういう雰囲気が結構残っている。水を含んだ重たい雪に腰を痛めながら、朝から3回も着替えて除雪に励んだ。お隣やご近所の皆さんと様々な会話が生まれ、共に汗を流して助け合う関係が生まれる。作業の熱気に雪もどんどん融けてゆく。

この地域にとってそれはとても大事なことだと思う。というのはこの地域は新宿区の震災ハザードマップで総合危険度レベル4の地域だ。道路が狭く、古い木造住宅がまだ残っている。教会などは築60年以上だ。高齢者やお一人住まいの方々も多い。除雪の共同作業は、災害時助け合いのドリル・演習にもなろう。お互いを知り合う良い機会になる。そう思って励んでいる。2本ある雪用のスコップは7年目を迎えて、とうとう壊れてきた。新しいものに買い替える時期が来た。

坂町坂だより NO.321



 昨年1月の成人式の日、北支区信徒大会の日は大変な大雪になった。その日は夕方からFさんたちの結婚式が千代田教会で予定されており、昼過ぎには信徒大会の会場・信濃町教会から戻ってきたが、都心部は大混乱が始まっていた。晴れ着の若い人たちがお祝い会などのホテルやパーティー会場に向かうだけでも大変難儀な状態になっていた。JRや私鉄も運休し始めており、さらに道路は大渋滞となっていた。

 結婚式は遅れながらも無事に済んだが、ご家族だけの夕食会場のホテルにどのように移動するかが最大の課題になった。上智大学の裏のホテルまでどうしたら無事に辿りつけるか。記念撮影が終わるや否や司式者のガウンを脱ぎ、マリンブーツにダウンのジャンパーに着替え、毛糸の帽子を被り、被災地を何度も往復した愛車を大雪の中で準備し、直ちに運転手に変身。狭い坂町の道路に積もる雪をものともせず、4WD・スタッドレスタイヤ・雪用ワイパー装備の車でご家族をホテルまで無事にお届けした。裏道を使い、難儀している他の車よりもはるかにスムーズに往復できた。更にあの日は自宅から2時間近くかけて教会に来られ、彼らの結婚式に参列してくれたご高齢のO兄がいた。大雪の中とても帰れる状態ではないので教会にお泊まり頂だいた。幸い翌日の昼過ぎには、温かな陽光の力で雪は一気に融けだし、無事に戻って行かれた。

 その記憶がまざまざとよみがえる程の大雪が降り続いている。都会がどれほど雪に弱いのかを改めて実感しているが、今年は13年振りという大雪警報が出されて、無理な外出を控えるようにとTVでも何度も繰り返している。ご高齢の方々には礼拝をお休み頂くように電話をしたところだ。もしも雪道で転倒されたりしたら、それこそ大変なことになる。皆さん快諾くださり、電話を喜んで頂いた。
 それにしても岩手での冬の日々が思い出される。2月が一番寒くて、零下20度にも下がることがあった遠野では、3月の声が聞こえてくると、あともう少しと希望が膨らんだ。また3月には岩手沿岸部にこの時期の低気圧が北上して大雪を降らせる。北国はまだまだ寒い日が続く。仮設住宅の方々に、福島の避難している方々に、3度目の冬は長く春は遠いのだろう。早く3月の声を聞きたいものだ。

坂町坂だより NO.320


 

 久しぶりに風邪を引いた。前回風邪を引いたのは、かかりつけのお医者さんのカルテにも記録がなかなか見つからないほど前のことである。

記憶では4年以上経っていると思う。また「3・11」以降、これまでに約20回岩手に行き被災地支援の活動を続けてきた。その中には自分で車を運転しての往復が数回含まれている。けれどもこの間も風邪を引くことなく何とか乗り越えてきた。それを密かに自負していた。

 しかし久しぶりに風邪を引いてみて、結構苦しい夜を過ごすことになった。そんな休養の日々、2006年秋に出版された対談集『たった一度の人生だから』(いのちのことば社)を読み直してみた。対談しているのは1911年生まれの日野原重明先生と1946年生まれの星野富弘さんである。特に日野原先生は2001年の「9・11」を踏まえた上で、いのちと平和について話されているが、星野さんの苦難を乗り越えてきた人生から生み出される一つひとつの言葉も素晴らしい。2005年に完成したばかりの新しい富弘美術館と地元の童謡ふるさと館での豊かな対話の記録であり、新緑の美しい旧東村・現みどり市の里山の自然と陽光を感じさせる小さな1冊である。

 私たちの教会でも、1泊懇親会を行っていた時期2007年の夏、富弘美術館を訪れたことがある。星野さんの描いた美しい花々と添えられていた詩の言葉に豊かな慰めを受けた。24歳の時に頸椎を骨折した彼が、60歳の誕生日を直前に、95歳の日野原先生と語り合っている。お二人は今も健在であり、「3・11」以降の世界にも夫々のメッセージを発信し続けている。もう一度あの美術館に行ってみたいものだ。