先週の伝道礼拝には、駒場エデン教会の名誉牧師にして、小野派一刀流第17代宗家、弁慶が使っていたような大長刀直元流宗家、居合神無想林崎流宗家の笹森建美先生をお迎えすることができた。先生は近年のご病気のために体調が万全ではなかったけれども、青学大神学科の後輩が働く教会のために、大変豊かなお話を分かり易くしてくださった。
その著書『武士道とキリスト教』(新潮新書・2013・680円+税)においても記されているが、1000年来伝わってきた武士道の精神的遺産とキリスト教信仰とが多くの共通点を持ち、また優れた倫理としても互いに響き合うものを有するという事実を、豊富な知識を網羅しながら丁寧に語って頂いた。特に明治初期のキリスト者たちが、武士階級からキリスト者となった経緯、それは現在のNHK番組「八重の桜」などでもお馴染みになっているために、背景と思想的系譜を理解する上で、とても示唆に富み助けになるものであった。日本的な素晴らしさを受け継ぎながら、同時にその限界と課題を相対化し、主イエス・キリストにある救いの希望を豊かに証ししてゆくことを教えて頂いた。
懇談では、今日の柔道界やスポーツ界に露見している暴力的な体質と武士道の違いをお聞きした。先生の説かれる「武道」の精神とは相反するものと思われるからだ。しかし会員の93歳のO氏が、ご自分の若き日の武道体験や軍隊の凄まじい暴力体験から日本人の悪しき体質を話してくださり、今日もどのようにして私たちの人間の持つ暴力性を乗り越えて行くのかを、課題として問い直す機会も与えられた。
しかし何よりの驚きであったのは、先生のお連れ合いのA姉が、かつてこの千代田教会の隣人であったという不思議なご縁(摂理)である。初代牧師の白井先生の頃、文字通り教会のお隣のご家族として住んでおられた。礼拝にも出席された妹さんは、幼児の頃教会の境にある塀から落ちたことまで明かされた。先生も婚約中に隣家に通われていたとも。その妹さん夫妻や、ご近所の幼なじみの方々にもA姉からご案内頂いたので、ご近所からの出席者も与えられ、豊かな歓談のひと時が持てた。私はその事は直前まで本当に知らなかった。ご本を読んでお招きしたいと思っただけ。やはり不思議な縁・摂理と言えるのではなかろうか。