2013年10月18日金曜日

2013年10月20日礼拝案内


午前10時15分
 
聖霊降臨節第23主日

 
説教 「人生の旅人として」太田春夫牧師

 
聖書 使徒言行録21:1~16

   ルカ福音書22:39~46

讃美歌21 21、55、155、504、91

交読詩編 19:1~7

招 詞 931-8

2013年10月7日月曜日

坂町坂だより NO.304


 
 先日次女から『遺体~明日への10日間』というDVDが送られてきたことを、この便りのなかで書かせてもらった。その中身について長女と確認のやりとりをしているなかで、彼女が原作を購入し、一気に読み終え、それを携えて東京に来て伝道礼拝に出席した。山梨に戻る際に原作とDVDを交換した。直後から引き込まれるように原作を読んだ。

 圧倒的な迫力と深い感動、心が揺さぶられる強い衝撃を覚えた。DVDとは比較にならないその現実の厳しさと想像を絶する現場の状況が思い浮かぶ。若いルポライターの緻密な取材に基づく生々しい証言の数々。50人以上の方々から話しを聞いたそうだが、本に登場するのは10数人である。しかしそれらの方々は全員が実名で記されており、釜石時代には何人もの方々と交誼を重ねてきた。彼らは圧倒的な数の死者たちを前にして、震災直後から戦場のような現実に直面する。死者たちの多くが知己や親戚、親友・友人関係という極限の状況下で、黙々と死者たちを葬るために夫々がなすべきことを全力で果たしてゆく。その姿にはただただ頭が下がるだけである。私の知己の方も何人も亡くなっているが、私には何ができただろうかと自問してみる時、全く自信がない。

 DVDを遥かに超えた原作の迫力とはいえ、本の文章からは、立ちこめる臭いもせず、泣き叫ぶ声もすすり泣く嗚咽も聞こえるわけではない。ご遺体の冷たさが感じられるわけではない。夫々の現場がどれほど凄かったのかを私たちは想像するのみである。
 しかし若いルポライターの石井氏は、それらの厳しい極限の現実の前で苦闘する方々が、同郷で同じ町内に住んだ仲間への深い愛、限りない優しさ、冷静な決意に基づいていることを随所に感じさせる文章で書き綴っている。医師のK先生は、父親が2度の釜石艦砲射撃で亡くなり負傷した万を超える人々を検案・治療した医者であり、2代にわたり極限を経験されている。体型は私と同じくらいである。だが石井氏は「大柄の明るい男」と記す。K先生はそれだけの存在感があり、人物の大きさを感じさせる方なのだ。被災地に関わるに当たり、限りなく謙遜に謙虚になるべきを改めて示された。素晴らしい釜石人賛歌の本でもあり、弔うことから始まる復興の一歩を忘れてはならないと学ばせて頂いた。

2013年10月13日礼拝案内


午前10時15分
 
聖霊降臨節第22主日

 
説教 「試練に向かって」太田春夫牧師

 
聖書 使徒言行録20:1724

   コロサイ215

讃美歌21 195119746592

交読詩編 311521

招 詞 9317

坂町坂だより NO.303


 

 先週の伝道礼拝には、駒場エデン教会の名誉牧師にして、小野派一刀流第17代宗家、弁慶が使っていたような大長刀直元流宗家、居合神無想林崎流宗家の笹森建美先生をお迎えすることができた。先生は近年のご病気のために体調が万全ではなかったけれども、青学大神学科の後輩が働く教会のために、大変豊かなお話を分かり易くしてくださった。

その著書『武士道とキリスト教』(新潮新書・2013・680円+税)においても記されているが、1000年来伝わってきた武士道の精神的遺産とキリスト教信仰とが多くの共通点を持ち、また優れた倫理としても互いに響き合うものを有するという事実を、豊富な知識を網羅しながら丁寧に語って頂いた。特に明治初期のキリスト者たちが、武士階級からキリスト者となった経緯、それは現在のNHK番組「八重の桜」などでもお馴染みになっているために、背景と思想的系譜を理解する上で、とても示唆に富み助けになるものであった。日本的な素晴らしさを受け継ぎながら、同時にその限界と課題を相対化し、主イエス・キリストにある救いの希望を豊かに証ししてゆくことを教えて頂いた。

懇談では、今日の柔道界やスポーツ界に露見している暴力的な体質と武士道の違いをお聞きした。先生の説かれる「武道」の精神とは相反するものと思われるからだ。しかし会員の93歳のO氏が、ご自分の若き日の武道体験や軍隊の凄まじい暴力体験から日本人の悪しき体質を話してくださり、今日もどのようにして私たちの人間の持つ暴力性を乗り越えて行くのかを、課題として問い直す機会も与えられた。
しかし何よりの驚きであったのは、先生のお連れ合いのA姉が、かつてこの千代田教会の隣人であったという不思議なご縁(摂理)である。初代牧師の白井先生の頃、文字通り教会のお隣のご家族として住んでおられた。礼拝にも出席された妹さんは、幼児の頃教会の境にある塀から落ちたことまで明かされた。先生も婚約中に隣家に通われていたとも。その妹さん夫妻や、ご近所の幼なじみの方々にもA姉からご案内頂いたので、ご近所からの出席者も与えられ、豊かな歓談のひと時が持てた。私はその事は直前まで本当に知らなかった。ご本を読んでお招きしたいと思っただけ。やはり不思議な縁・摂理と言えるのではなかろうか。