7月20日特別礼拝の案内
説 教 「今、省みる終戦時・・・『満州国』とキリスト教開拓村の意味・・・」
説教者 石 浜 み か る 氏 ( 作 家 )
聖 書 マルコによる福音書12章28~31節
讃美歌21 2、205、57、426、92
懇談会 礼拝後、講師を囲んでの懇談と昼食(300円)の時間を持ちます。
2014年6月26日木曜日
6月29日の礼拝
6月29日の礼拝案内
説 教 「 和 解 の 手 を 」
説教者 長 尾 有 起 伝道師 (早稲田教会)
聖 書 マタイによる福音書18章21~35節
讃美歌21 21、98、413、398、89
説 教 「 和 解 の 手 を 」
説教者 長 尾 有 起 伝道師 (早稲田教会)
聖 書 マタイによる福音書18章21~35節
讃美歌21 21、98、413、398、89
坂町坂だより NO.339
本文884頁、解説を加えると890頁を超える堂々たる伝記、復刻版『ブゼル先生伝』(著者・栗原基、伝記叢書109、大空社1992年)を10数年振りに手にして、改めて読み直している。原本は1940年、昭和15年に発行された限定500部のものである。栗原基氏は旧第三高等学校(現京大の前身)教授であったが、その栗原氏の大変な労力と、それを支えたブゼル先生との深い出会いや敬愛の思いがなければ到底成し遂げられなかったに違いない。膨大な資料と書簡類、また日米の関係者の証言とたくさんの人々の思い出など、収集整理するだけでもかなりな作業であろう。ブゼル先生は1936年(S11年)2月5日に満69歳で召されたが、死後4年以上かけて発行に至っている。
実は先日、現遠野教会牧師・遠野聖光幼稚園長であるM先生の紹介によって、今秋11月に開かれる尚絅学院「建学の精神研修会」において講演を依頼され、それをお引き受けした。そこでM牧師から復刻版をお借りして読み始めた次第である。予期せぬことであったが、ブゼル先生の後半の生涯を改めて思い起こすことに意味があると思った。
先生は、仙台のミッション・スクール、尚絅女学校の創設期1892年(M25年)に弱冠26歳で米国より来日、初代校長として今日の尚絅の基礎を築かれた。女子教育だけではなく青年にも聖書を教え、そこからは大正デモクラシーの吉野作造、島地雷夢、内ヶ崎作三郎らが受洗し、著者の栗原氏もバイブルクラスの一員であった。更に1920年(T9年)のクリスマスに、54歳で遠野に移住し、翌春に遠野聖光幼稚園を創設されたバプテスト派の宣教師である。
1981年、私の牧師・園長としてのスタートが遠野であり、そこで様々な形でブゼル先生と出会った。もちろん生前にお会いすることはなかったが、晩年を迎えた先生に教えられ、お世話になった方々に出会った。その方々の多くが既に天にある。また神の不思議な導きとしか言えない経験にも与ることができた。日本のかなりの教会、私立大学や女学校、幼稚園・保育園、病院等は、実に数多くの宣教師たちの命を懸けた働きによって基礎が据えられ、今日までの歴史がある。そのことを忘れないために「遠野ブゼル先生物語」を語ろうと準備を始めた。
坂町坂だより NO.338
良く知られている昔話の一つに「わらしべ長者」というお話しがある。1本の藁を次々に物々交換してゆく日本のおとぎ話ということだが、私の岩手訪問の旅も同じような展開となるのが常である。今回はあの日以来19回目の岩手・被災地訪問、北支区とドイツ語福音教会のために情報収集を含めて、昨年11月以来の訪問となった。
主たる目的の一つ「献金」以外には数個の四谷名物、それと妻の友人の関係するシーズプロジェクトの「不思議な種」が今回のお土産である。廻った所は6教会、6幼児施設、20数人の友人知人。しかも今回は、30年来の友人K牧師との久しぶりの珍道中。彼は福井県敦賀からボランティアのために、偶然2年ぶりに岩手入りしていた。彼とはかつて同じ地区・同じ学校法人内で12年間の豊かなお付き合いがあった。
江刺ではO牧師夫妻に迎えられ種を。美味しい手作りのスウィ―ツと亀の子煎餅を頂き、昼食には農家の主婦たちが営む店で「蕎麦」をご馳走になり、そこで蕎麦を4ヶ購入。千厩・大船渡と牧師たちを訪問し種を。夏の準備と情報収集。釜石に入り知己の酒屋に行き蕎麦を2ヶお土産に。飲み物を購入すると、地元の焼酎を1本サービスされた。定宿に向かう途中知人宅で煎餅と蕎麦をお土産に。定宿では仲間と夕食会で懇談、情報交換。四谷土産と種と焼酎を渡す。翌朝知人宅で四谷土産は仙人秘水2本に。前夜友人が持参したお酒と漁師の友人が届けてくれた大小のホタテとホヤを交換。新生釜石教会へは献金と種を届けて共に祈祷会で祈った。大槌町の3つの幼児施設にも種を配り、宮古教会へ。午後の祈祷会でやはり献金をお届し、幼稚園には種を差し上げた。
夏の交流の旅の下見を兼ねてM牧師、K牧師と3人で夕食を取り、翌朝早く遠野へ。途中友人たちを訪ね、海のものは白菜、どぶろく、米10キロに交換変化。幼稚園に種を届け、岩手地区牧師会で挨拶後、家族と合流予定の新花巻へ。花巻では97歳を迎える反戦平和の歌人M姉を訪問し、歌集のお礼に四谷土産・海のもの・白菜を。歓談し共に平和を祈り、孫1歳の食事会の宿に。米は息子と次女に分け、たくさんの再会の喜びを頂きながら帰路に。友人の真摯な提言、被災地の復興でも再生でもない、「新生」こそが真の課題との言葉を心に刻みながら戻った。
坂町坂だより NO.337
既に何度も書いてきたことであるが、北支区には連合祈祷会があり、1月を除く年間11回、各教会を会場に提供して頂きながら祈りと交流の会を開催し続けている。内容は前半が礼拝で、信徒の方の証し、牧師の説教、賛美と祈り、その後30分の交流というパターンである。北支区は日本キリスト教団の信仰告白、及び「戦争責任告白」を指針として支区形成に励んでいる。社会的な問題への関心も高く、また取り組んでいる課題も多岐にわたる。その広がりと関わりの深さにいつも感心させられているが、しかし教会は何よりも祈りによって一つにされるという姿勢を重視し、立場の違いを超えて祈り合う連合祈祷会は40数年間途切れることなく続いてきた。11回の内2回は東支区との合同になり、東京教区内の二つの支区が協力して祈りの会を持っている。
この会は遅くまで交通機関が動いている都会だからできる集会でもある。私は委員でもあり、皆勤ではないが精勤を心掛けている。月に一度他の牧師の説教が聴けること、他の教会の信徒の方の人生に触れられること、支区内諸教会を訪問できること等、自分自身を相対化するうえでとても大きなお恵みである。そして孤立しがちで、自己完結的になりやすい都会の教会にとっても大切なことと感じている。
今月も趣のある立派な石造りの会堂・本郷中央教会を会場に、金曜日の夜に開催された。説教は目白教会のF牧師、立証がお隣の信濃町教会のM氏であった。M氏は満84歳、住まいは大泉学園町である。毎回杖を片手に参加されている。梅雨入りした東京は大雨と強風の夜となったが、M氏は信濃町教会が独自に取り組んでいる「支援特別委員会通信」を持参され、福島のいわき市から避難されているKさん親子を紹介した鋭く切実な文章を朗読され、今私たちの国で、この東京で何が起こり、何が進行しているのかを直視し耳を傾け続けるように、福島の子どもたちの未来への祈りに応えるようにと静かに強く訴えられた。
それにしてもM氏のような高齢の方々がこれまでの教会を支えて来られたのだ。我が教会でも1時間半~2時間という遠方から通う90歳前後の方々がおられる。その真摯な姿勢こそ立派な証しであり、多くを学ばせて頂いている。健康が守られますようにと心から祈りたい。
坂町坂だより NO.336
久しぶりに「本」を読み始めた。毎週の説教準備のために、何冊もの専門書や説教集、関連する注解や論文を読むことは基礎的作業として続けている。その意味では活字から離れていた訳ではない。しかししばらく前に、知人の書いた書評から関心を持って購入、一気に読了しこの欄でも紹介したうえ、更にクリスマスイブの礼拝で思い入れも強く紹介した1冊があった。それが全くの詐欺的な捏造であり、クラシックの話題曲も別人が作曲していたという事件があった。正直に言って少々ショックを受け、しばらく「本」を読む気にならなかった。
しかしどこかでリハビリしなくてはいけないので、お隣のW教会のK牧師が書いた書評から、気を取り直して読み始めた。それは赤坂憲雄氏の『震災考 2011・3-2014・.2』(藤原書店)という本である。K牧師に連絡し、彼は読み終わっているであろうから、それを借りてきて読み始めたという次第である。
赤坂憲雄氏は現在学習院大学文学部教授であるが、私とは同年である。赤坂氏の若い日に私も遠野で何度かお会いし、お話しを伺ったことがある。民俗学の研究が専門で、「遠野常民大学」の中核となった友人などと一緒に地道な活動を続けておられた。大変穏やかな人柄であるが、その東北への深い洞察、歴史と文化への切り口は説得力がある。1999年には責任編集による『東北学』を創刊し、その他にも一般社団法人「ふくしま会議」代表理事、福島県立博物館館長、遠野文化研究センター所長などの役職を担い、誰よりも深く東北を愛する人物の一人である。
その彼もあの「3・11」直後の1週間、全く言葉を失っていたという。「東日本大震災が起こってから、わたしはしばらく言葉というものを失っていた。語るべき言葉など、どこにもなかった。空っぽだった・・」と正直に書き始められているこの本は、時系列で並べられた彼の言葉の回復の記録でもある。今・この時の世界的潮流と、日本国内の異端排除とも言える諸症状、政治的な体制翼賛会化などを踏まえながら、東北から、これまでも踏みにじられてきた弱者の視点から、この国の30年後、50年後の社会全体をデザインする、生存を懸けた新たな自由民権運動として位置づけ、復興ではなく東北の再生を目指す1冊である。
坂町坂だより NO.335
2010年9月、北支区の常任委員会4役と信濃町教会長老T姉、当教会H長老の6名を案内し、レンタカーのワゴン車を駆って一路北を目指した。2泊3日の奥羽教区・岩手地区の教会訪問の旅であった。東北道・岩手路と運転を交替しながら無事一関教会に。更に千厩教会、気仙沼の畠山さんを訪問。陸前高田で休憩し、大船渡教会、新生釜石教会で交流。遠野・日詰・江刺の各教会を廻り、一気に南下し東京に戻った。その帰路2度目の奥羽との交流は六ヶ所村の核燃サイクル施設を訪ね、原子力問題について学ぶことが課題であると話された。
半年後、かの地を大津波が襲い多くの人命を奪い、生活の根底を根こそぎ呑み込んでいった。さらに原発事故の恐怖は列島全体を覆い、立てつづけに爆発する原子炉の姿と拡散する放射能、その汚染の深刻さと混乱は、暗く深い闇が足元で口を開けたことを実感させた。岩手沿岸の被害情報の収集と原発事故の報道。岩手の関係者などが集まっても来た。精神的にも追い詰められた時期だった。混乱と不安の中で誰もが動揺していたが、1週間後の18日北支区の仲間12人が大震災に対処すべくこの千代田教会に集まってきた。真剣な協議と対応の方向性を祈りつつ確認し、教会の信仰の内実が問われていると感じていた。
あの日から北支区東日本大震災被災支援特別委員会は回を重ね32回目が当教会で開かれた。釜石から移植したバラが満開を迎えている時期、ついでに「復活のワカメ」のワカメごはんに酢のもの、茎ワカメの炒め物も用意して迎えた。委員会の組織は小さいが小回りが利き、人と人とが出会い繋がれる関係を目指し、ニュースも11回発行。主旨に賛同した諸教会の尊い献金が、奥羽教区を通して岩手沿岸の被災教会へ経常会計支援として送られた。また幼児施設の支援にも。更に福島の原発被害の教会支援、福島の幼児施設への飲料水支援等々、いつも丁寧に謙虚に関わり、何度も具体的に足を運び続けている。その熱心さと誠実さに対しては、岩手との間を繋いだ者として本当に頭が下がる思いである。
夏には6回目の岩手訪問の旅、また秋には宿題であった六ヶ所村の核燃サイクル施設や建設中の大間原発訪問が企画され、かの地の方々との出会いと交流計画が、篤い祈りの中で準備されている。
2010年9月、北支区の常任委員会4役と信濃町教会長老T姉、当教会H長老の6名を案内し、レンタカーのワゴン車を駆って一路北を目指した。2泊3日の奥羽教区・岩手地区の教会訪問の旅であった。東北道・岩手路と運転を交替しながら無事一関教会に。更に千厩教会、気仙沼の畠山さんを訪問。陸前高田で休憩し、大船渡教会、新生釜石教会で交流。遠野・日詰・江刺の各教会を廻り、一気に南下し東京に戻った。その帰路2度目の奥羽との交流は六ヶ所村の核燃サイクル施設を訪ね、原子力問題について学ぶことが課題であると話された。
半年後、かの地を大津波が襲い多くの人命を奪い、生活の根底を根こそぎ呑み込んでいった。さらに原発事故の恐怖は列島全体を覆い、立てつづけに爆発する原子炉の姿と拡散する放射能、その汚染の深刻さと混乱は、暗く深い闇が足元で口を開けたことを実感させた。岩手沿岸の被害情報の収集と原発事故の報道。岩手の関係者などが集まっても来た。精神的にも追い詰められた時期だった。混乱と不安の中で誰もが動揺していたが、1週間後の18日北支区の仲間12人が大震災に対処すべくこの千代田教会に集まってきた。真剣な協議と対応の方向性を祈りつつ確認し、教会の信仰の内実が問われていると感じていた。
あの日から北支区東日本大震災被災支援特別委員会は回を重ね32回目が当教会で開かれた。釜石から移植したバラが満開を迎えている時期、ついでに「復活のワカメ」のワカメごはんに酢のもの、茎ワカメの炒め物も用意して迎えた。委員会の組織は小さいが小回りが利き、人と人とが出会い繋がれる関係を目指し、ニュースも11回発行。主旨に賛同した諸教会の尊い献金が、奥羽教区を通して岩手沿岸の被災教会へ経常会計支援として送られた。また幼児施設の支援にも。更に福島の原発被害の教会支援、福島の幼児施設への飲料水支援等々、いつも丁寧に謙虚に関わり、何度も具体的に足を運び続けている。その熱心さと誠実さに対しては、岩手との間を繋いだ者として本当に頭が下がる思いである。
夏には6回目の岩手訪問の旅、また秋には宿題であった六ヶ所村の核燃サイクル施設や建設中の大間原発訪問が企画され、かの地の方々との出会いと交流計画が、篤い祈りの中で準備されている。
坂町坂だより NO.334
女性の全く新しい視点から聖書を読み解く取り組みを続けておられるY先生の著書の中に、宇宙に関する記述があり、子どもの頃からプラネタリウムで星を見るのが好きであったこと、宇宙は偶然にできたのではなく、「この世界を超えた存在、それも、ただ超越して無関係に存在するということではなく、関係性を持つ存在、その存在を私たちはひとまず『神』と呼びますが、この宇宙は神が素晴らしい叡智をもって創られたに違いないと思えました」と記している。私も同じような感覚である。宇宙について考えることやハッブル宇宙望遠鏡等が撮影した感動する程美しい宇宙の姿を見ることが大好きで、毎晩眺めてから眠っている。
先日もTV番組で超新星「1987A」について詳しい解説がなされ、ハッブルの本などで知っていた事柄を改めて分かり易く教えられ、超新星爆発について理解を深めることができた。南半球に見える大小のマゼラン雲は、私たちの銀河の伴銀河として知られているが16万光年ほど離れている。そのなかで1987年に超新星爆発が起こった。最初に見つけた若者が観測を始めて3日目だったとか、この爆発によって飛び出した素粒子「ニュートリノ」を発見し、ノーベル賞を受賞した小柴教授は退職を1か月後に控えていたというエピソードも面白かった。元の星は太陽の20倍の質量の星でしかも青い星が爆発したことの謎の解明、ニュートリノ到着から3時間後に爆発によって星が輝きだしたことの時差の意味など。実際の爆発は16万年前になるわけだが、その更に2万年前に連星が膨張した主星に呑み込まれるように合体し、その衝撃で吹き飛ばされていったガスが、爆発から「25年後」に3重のリングとして輝きだしていること。超新星爆発が鉄よりも重い元素を爆発によって生み出すことは知られているが、1987Aの周囲の宇宙空間には地球約20万個分の「チリ」が漂っていることなどを知った。
太陽も46億年前に宇宙に漂う「ガス」から生まれ、地球も「チリ」が集まって誕生し生命を育む星となった。私たち人間はこの星の上でしか生きられない。しかしその星の上で今も対立や戦争を繰り返し、不信と憎しみを再生産し続けている。神の創造の秩序にもっと謙遜になり、キリストの平和の歩みを共にと祈り願わずにはいられない。
坂町坂だより NO.333
山谷のお弁当屋「まりや食堂」に通い出して5年目になるが、伝道所の会員で食堂のスタッフの一人でもあったN兄が体調を崩し、更に他の症状もあって最近は食堂作業からは外れている。そのN兄の健康維持のために、祝日の投薬支援ボランティアを頼まれた。日曜日と週日は何とかなるのだが、祝日が手薄なのだという。GW5日の夕方4時に山谷の通称「ドヤ」の彼の個室に出かけ、わずか10ccほどの飲み薬を冷蔵庫から取り出して、確実に飲んで頂くという作業である。清潔そうなドヤを詳しく観察するほどの時間もなく、ほんの数分の訪問であった。
そのためだけに一日を使うのは流石にもったいないので、妻と二人で埼玉方面の日帰りの旅に。朝リックを背負い、四谷から新宿そして大宮へ。大宮から東武野田線に乗って途中下車。兄が4月から赴任したN教会を訪ねて表敬訪問。教会を見学してから、主目的地であった春日部市のイベント「大凧揚げ大会」会場を目指した。春日部駅では情報不足から藤の季節が終わっていたり、駅の反対側に出るのに入場料を取られたり、無料送迎バスではなく有料で450円の臨時路線バスに乗ることになり、それが渋滞にかかったりと四苦八苦。やっと会場に着いたが、戻りの時間に追われて駆けるように広い会場の端から反対の端まで大移動。わずかに会場の群衆と「小凧・中凧」の揚るのを横目で見ながらシャトルバス乗り場へ。100円で野田線の駅まで移動。そこから2駅戻って春日部駅に。そして各駅停車に乗って南千住駅まで。妻と別れて、当初の目的であったドヤへと一人向かった、次第・・。
2014年5月10日土曜日
坂町坂だより NO.332
GWの後半は3日の「憲法記念日」から再スタートである。天気予報では好天が続くとされているが、現実の「日本国憲法」を取り巻く環境は暗雲が垂れこめているような状態である。
3日の朝日新聞では大きな紙面を割いて、憲法を取り巻く諸状況を丁寧に取り上げている。現政権の集団的自衛権容認の問題、9条の平和主義の理念、その他様々な問題を提示し、分かり易い解説も掲載されていた。その一つが「一からわかる立憲主義」という頁である。立憲主義の意義と役目は、①権力者も憲法に従い統治、すなわち権力者を縛ることだ。②憲法で権力を分立させ人権を保障。国家権力を集中させないこと。③多数決だけで人権を守れない恐れがあるので、多数決で決めてはならないことを憲法で線引きし、少数者の人権を守る。ということを歴史的にも検証している。自民党の改憲案や現政権の発言などは、これらの大事な諸原則を意図的に否定し破ろうとしているように思える。
ところで上の③の少数者の人権では、最近の国内状況はとても憂慮すべき事態が増大しているように思われる。具体的には「差別」の問題だ。差別は私たち自身の内側にも存在する事柄である。その内なる差別体質を正直に受け止めながらも、どうしたら差別という「隔ての壁」(エフェソ2:14)を克服し、異なる他者と共に生きられるかを日々問われている。ここ新宿区でも行われる「ヘイトスピーチ」のデモや、いくつかの所で散見される「Japanese Only」の問題は遠い世界の事ではない。過剰な熱気で迎えられた2020年の東京オリンピック開催だが、世界中から人々を招こうとするその開催地で、異なる他者への嫌悪と排除の動きが広がっていることは問題である。身近な憲法問題がここにある。
同じ日の別な紙面には、「『食肉』めぐるドキュメンタリー映画、差別問い学生が上映会」という記事が載っていた。立教大3年のH氏が6日に多摩市立永山公民館で開く、映画「ある精肉店のはなし」の紹介である。H氏はこの映画を観た経験から、と畜業への差別を知り、差別を糾弾するのではなく、この映画のように、小さくとも現実を訴える力が社会を変えるのだと感じて上映会を企画したという。知る努力を放棄したら改善は難しい、との意見も私たちへの問いかけである。
坂町坂だより NO.331
関東よりも約1ヶ月遅い、東北各地の桜前線開花の便りが届いている。GWに満開を迎える地域も多いだろう。今年の冬が長かった分だけ、春も少し遅れてきたようだ。
一方千代田教会では初夏の香りに誘われるように、庭の木々には若葉が芽吹き、日に日に大きくなり、雑草が生い茂り始めている。3月中旬に教会学校のMちゃんが植えたジャガイモも土の中から芽を出し始めている。さらにここは新宿なのだが、隣家との境では「蕗」が大きくなってきた。そんな庭の環境を保つために、妻が今期2度目の草取りに励んでいる。ついでに町会の役員さんが大好きな蕗も採ってお裾分けして喜ばれた。彼には不在の時の管理や水撒きもお願いしているので、駐車場を貸したりして日頃から仲よくして頂いている。
そんなご近所の皆さんも毎年楽しみにして頂いているのが教会のバラである。すでにたくさんの花芽が伸びている。GW過ぎには開花すると思われるが、ざっとみて2000本ほどの花芽があるだろう。このたくさんの花芽に混じって、私が「蔓芽」と呼ぶものも伸びている。今はその蔓芽を伸ばす時期ではないので、棘に刺されながらもそれらを切り取る。花芽に栄養分を送るためである。大きくて太い花芽には10輪以上の花が咲く。1番花が終わりその花ガラを切り落としてやると、2番花が数輪咲く。さらに3番花も咲くものもある。平均すれば1つの花芽から5~6輪は咲かせているので、すでに教会のバラの壁は1万を超えるバラの花に飾られることになる。道行く人も足を止めて見入り、またわざわざカメラを抱えて来られる方もあるくらいだ。
このバラの親株は被災した新生釜石教会の庭に今も生きている。昨年はカトリックのS姉たちと「釜石のバラ・プロジェクト」に取り組んだ。50本以上の挿し木をして、教会の庭で世話をしたのだが、釜石の孫たちが全て根を張り生き延びた。S姉たちの活動を支援する全国各地の方々に届けられ配られたはずだ。津波で傷ついた釜石のバラの孫たちが、今全国に散らばり、新しい根を張り美しい花を咲かせようとしている。この四谷でも道行く人に挿し木をお分けしている。親株の復活を祈りながら、東北より1ヶ月早い「バラの教会」ももうすぐである。
坂町坂だより NO.330
23年前の秋、釜石湾に臨む小さな尾崎白浜漁港の岸壁で小魚を釣っていた。そこで偶然出会ったのが漁師のSさんである。遠野から釜石に赴任する前に一番先に友人になったのは漁師であった。以来ワカメ・ホタテ・牡蠣の養殖漁業の様々な経験をさせてもらい学びと楽しい時を過ごした。また自家消費分のワカメを分けてもらい、「会堂建築ワカメ」として新会堂建築では大いに貢献してもらった。3年前の大津波で友人たちは海の財産を根こそぎ奪われた。岩手沿岸の諸教会、幼児施設の支援とともに漁師の友人たちへのささやかな漁業復興支援も続けている。
昨年からワカメの生産が再開された。春の遅い三陸では寒風に吹かれながら、大きく育った養殖ワカメの刈り取りが始まる。幹縄に巻かれた種付きのロープ、そこから芽が出て根が育ち、幹縄の下へと葉が成長を続ける。種巻きだけは人工だが、その後三陸のワカメは農薬も使わず、もちろん科学肥料も必要ない。豊かな広葉樹の森林から流れ出る栄養豊富な河川水が海水と混じり合い、そこで育ってゆく。ミネラルの豊富な天然食物、生活習慣病予防に効果があり、ダイエット効果や健康・長寿増進に最適の食材・ワカメはただ自然の力だけで成長してゆく。
さて収穫してきた生ワカメは岸壁で待つ家族に手渡され、直ぐに大きなお風呂のような釜で茹でられる。時間にして1分弱、茶色っぽいワカメが鮮やかな緑色に変化する。それを再び冷たい海水に通して荒熱を取り、水気を切ってから大量の塩をまぶして漬け込む。次に軽く水気を切ってから、1本1本手で取って中芯と呼ばれる茎を抜き出す「芯抜き」作業を行う。その芯抜きしたワカメを土俵袋と呼ばれる絞り袋に詰めてプレス機にかける。圧力をかけて圧縮し水分を絞り出す。そして最後に小袋に詰めて三陸産の「塩蔵ワカメ」が完成する。その塩蔵ワカメは冷蔵庫で半年以上保存できる。
被災した友人たちの「復活のワカメ」を新生釜石教会に代わって諸教会にお求め頂いている。新生釜石教会は修築が終わったばかりでまだ余力がないからだ。献金を含めての「復活のワカメ」は、新生釜石教会と新会堂建築に取り組む宮古教会、被災支援活動等のために大いに貢献する。できるだけ多くの教会・方々に協力頂けるようにと励んでいる。
2014年4月18日金曜日
坂町坂だより NO.329
あの「3・11」原発事故の破局の恐怖も忘れたかのような政府のエネルギー基本計画に、大きな失望と政権の無節操を覚えたのは私だけではないと思う。もう一度原発事故が起こったなら間違いなく国が滅びるし、一国だけではすまない事柄だ。これからの子どもたちのためにどんな世界を遺してゆけるのか、我々大人たちが生き方を問われている。
ところで先日ドイツ語福音教会のオルガニストのH姉から久しぶりのメールが届いた。そこには復旧した三陸鉄道の南リアス線に、釜石保育園の子どもたちが乗っている映像がTVで放映されている、というものだった。メールを開いた時間が遅かったので、直接TVを見ることができなかったが、園長先生のF姉に率いられた子どもたちの楽しげな姿が映っていたという。実は新園舎建設は、オリンピック等の影響もあり、入札が何度も流れていて、この春のお引っ越しは叶わなかった子どもたちと園長先生である。三鉄よりも新園舎であったと思うが・・。
しかし三鉄の全線が5日、6日に南と北とで完全に復旧したニュースは寄付をした私たちにも嬉しい便りであった。北リアス線は久慈から宮古まで、南は釜石から大船渡まで。宮古と釜石の間はJRの山田線であるが、寸断されたままで何も手が付けられていない。採算が取れない赤字路線をJRは放棄したいのが本音のようだ。第3セクターで30年前に始まった三鉄も、山田線の経営を引き継ぐことに逡巡しているようだ。何故なら復旧したとはいえ、毎年の経常赤字が小さくないわけで、どうしたら採算が取れるようになるか頭を痛めていると思われる。
その対策の一つが都会の人々が被災地に出かけて行って、三鉄に乗ることであると思う。それは間違いなく復興支援の大きな貢献になる。あの地で何が起こったのか、何がまだ不足しているのか、これからに向けて何ができるのか、自分たちの目と耳で、あるいは5感全てで感じ取ること。便利な大都会の繁栄と生活を支える地方の現実を、足を運んで感じ取ることは課題を分かち合うことでもある。何より教会の皆さまには、既に復興支援で三鉄の切符を買って頂いている。切符の有効期限は復旧から1年間。来る8月の北支区・被災地訪問交流の旅でも三鉄南リアス線に乗車する予定である。是非ご参加頂きたい。
坂町坂だより NO.328
お隣のW教会のK先生とは親しくさせて頂いているが、K先生が色々な所に書かれるコラム、ショートメッセージ、書評などはいつも示唆に富み、心打つものが多い。その一つ、日本クリスチャン・アカデミーの機関誌「はなしあい」の巻頭言で、安倍首相の靖国参拝、集団的自衛権などの憂うべき事態を指摘した後、102歳の医師・日野原先生の朝日新聞の文章を引用している。孫引きも含めて引用させて頂く。
・・・ご自分の平和への願いを、将来の日本・世界をつくっていく子どもたちに伝えるため、10歳の子どもたちへの「いのちの授業」を大切に続けたいとのこと。・・「私のミッションは、彼らが柔らかい心を持った時代のうちに、平和の尊さを心に刻んでもらうことです。日本を戦争のできる国にしようとする政府の動きに、ハッキリ『NO』を言える勇気を持ってもらうことです。沖縄の米軍基地を容認することでもなく、日本が戦力を持つことでもない。外交による平和を実現してもらうことです。」・・・こうした願いが、自分の存命中に叶えられないとしても、平和を祈る子どもたちが世代を重ね、さらなる知性を獲得し、他者の命を重んじる地平を拓いてくれる、そのことを希望として、最後まで子どもたちに訴え、育てようと決意しておいでだとのこと。こうした一文に触れて、深く感動しました。・・・そう記されていた。
また4日の朝日新聞のインタビュー記事、「アベノミクスと隣人外交」と題した、元駐日カナダ大使:ジョセフ・キャロン氏の見解も素晴らしいと思った。キャロン氏は、出だしでは安倍首相の政策を評価しているが、靖国参拝や国家主義的な言動の矛盾を鋭く指摘。カナダと米国との関係と中国と日本との関係との共通性を提示したうえで、カナダの外交から学ぶべきを助言。見出しにもまとめられているが、「中国と対立しては経済復活ありえぬ、見極めて利用せよ」また「もはや島国ではない、国境は頭の中に、変えるべきは感性」との主旨で、島国意識や脱亜入欧意識からの脱却と、地政学的現実を認識し、若者の国際交流、アジアを重視した多言語習得の教育改革の必要性を具体的に提言している。
報告書が届いている北支区の第10回韓・日青少年合同修養会の地道な積み重ねこそ、これらの提言の射程にあることを思わされた。
2014年3月30日日曜日
坂町坂だより NO.327
先週のこの欄に、渋谷での脱原発の「ママデモ」について書いたが、紹介だけでは裏付けに欠けるので妻と二人で一緒に参加した。たまたま教会での集会も終わったところであり、お天気にも恵まれていたので出かけることにした。脱原発の金曜デモにも、また他の脱原発集会にもなかなか都合がつかず参加できないことが多い。だから今回のママデモの事を論評することなどできないが、やはり初めてのママデモは少々こころもとなかったように感じた。しかし、このデモの企画から開催までの準備や手続き、安全に行うための応援の要請・打ち合わせ等々、初めてゆえのご苦労がたくさんあったことを想像しながら歩いた。
主催者発表では約500人の参加者。ママたち、子どもたちが先頭に立ちバギーの幼児やパパ達が続いた。女性が大半であるが、私たちのような孫のいる中高年層が後列を歩いた。全体は2つのグループに分かれ、交通規制の警官に守られ、デモ行進の補助をする男性陣にも助けられてゆっくりと歩いた。参議院議員1年生のY氏も参加し、道行く人々に主旨を説明し、繰り返し脱原発を訴えていた。
孫のような幼児も含め、周りにはお祖母ちゃん、お祖父ちゃんたちが幾組も歩いていた。渋谷駅から青山通り、母校の前を通り左折して表参道ヒルズの前、明治通りへ曲がり公園で解散というルートで、1時間半程で約1万歩を歩いて無事に終了。日曜の夕方、多くの若者たちで賑わう交差点を歩道ではなく、道路上から歩いて見ることの意味を思わされた。それは「視点の転換」という大切な経験であった。
家庭の食卓においても時には座る場所を変えてみる。すると見えてくる「世界」が変わってくる。固定化しやすい私たちの視点、観点を時に変えてみる。礼拝堂の座席の位置も変えてみること。便利で快適な、大量消費やブランド志向の大都市文明を、様々な生産で支えている地方と交流して視点を変えてみること。エネルギーを生み出し、廃棄物を受け入れている地域に行ってみること等。国や民族の問題でも同じことが言えるだろうし、今回のママデモが成し遂げたのは、ママたち自身による視点の転換という挑戦であった。今までは歩道で眺めていた自分たちが、未来である子どもたちと一緒に道路に立っていたのだから。
坂町坂だより NO.326
先週「3・11、映画と祈りの夕べ」を開催したが、この週は東京教区北支区においては大変珍しく、我々の『遺体』の上映会に続いて、お隣のエパタ教会での上映会が14日、早稲田教会での上映会が15日に組まれていた。さながら「北支区映画週間」のようであった。
エパタの上映会は、ドキュメンタリー映画『赤貧洗うがごとき~田中正造と野に叫ぶ人々~』で、日本基督教団東京教区部落解放5支区代表者会・西東京教区部落解放担当の共催によるものだ。当教会の上映会にもいくつもの教会から来て頂いたので、金曜夜の上映会に私も参加した。大変硬派の映画であり、かなりマイナーな映画である。参加者は多くは望めないだろう。しかし一人でも多い方が良い。そう思っていたら出発直前、再び釜石の漁師さんから「生ワカメ」がどっさり届いた。そこでその生ワカメを上映会参加者のお土産に。皆さんへのお裾分けと今後の釜石の「復活のワカメ」の被災支援・販売促進を兼ねて持参した。
「赤貧・・」は2度目の鑑賞になる。釜石時代にも観た記憶がある。
「・・ああ、記憶せよ万邦の民、明治40年6月29日は、これ日本政府が谷中村を滅ぼせし日なるを・・」と記された歴史。富国強兵政策の国家的プロジェクトの下で何が起こったのかを知ることができる。古河による足尾銅山開発とそれに伴う鉱毒被害は放置され、山谷は荒れ果て、渡良瀬川流域は大洪水による被害拡大の悪循環に陥る。その現実に立ち向かった農民と田中正造の闘いの軌跡。「真の文明は、山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし」と鋭く権力を批判した正造は、国家による「棄民」の不条理に立ち向かった。
しかし私たちは「3・11」を経験した後で、正造の生涯を学び直してみると、これは百年前の足尾銅山の鉱毒問題だけではなく、「水俣」と「福島」へと繋がる現代日本の大きな課題であるということだ。命と未来を懸けた闘いの記録である。その闘いはかつてと同じように幅広い裾野の広がりが求められ、一人ひとりの生き方が問われている。23日の午後3時からは、子どもたちを守りたいと願うママたちが、渋谷で脱原発の「ママデモ」を企画しているという。子どもたちの命と未来への切実な願いと祈りは、百年前と深く通底するものであると思う。
2014年3月15日土曜日
坂町坂だより NO.325
先週はあの「3.・11」以来3年ぶりにこの欄をお休みさせて頂いた。土曜日の段階で、体力・気力が限界になっていたためである。
実は2月末から3月上旬にかけて長老会の承認を得て、初めてのイタリア旅行に出かけた。信徒の友誌の「ようこそキリスト教名画の世界に」欄を1年間連載していた長女が、予てから計画していたイタリアの美術館と諸教会の名画を見る旅に同行したためである。彼女はキリスト教美術を専門とする現役の学芸員である。私は生涯で4度目の海外旅行、欧州は初、JTBの企画する団体の旅も初めての経験であった。
ダビンチの「最後の晩餐」とミケランジェロの「最後の審判」の両方が見られて、ミラノ・ヴェネチア・フィレンツェ・ローマの4都市を巡り、各地の教会や美術館見学の団体予約がなされ、観光ガイドが付く旅である。上の二つの「最後・・」は、現在個人で自由に見ることが極めて困難と言われている。娘の緻密な計画では途中のオプション観光の時間は、ひたすら教会と美術館巡りが組まれていた。私はただただ娘の後に付いてフィレンツェとローマの町を巡り歩いただけであった。両手では足らない数の教会と美術館などを巡り、何千という絵画や彫刻を見て歩いた。分からないことはすぐ傍の学芸員に聞けば良かった。その上に元々組まれていた美術館に大伽藍巡りである。膨大な量の美術に関する情報が入り込んできたが、まだまだ混乱していて、どこを歩いて何を鑑賞したのか整理できていない。
その旅の2日目、最初の美術館で「最後の晩餐」見学直前に、留守を守っていた妻から訃報が届いた。教会員のI氏が召されたとの報に正直衝撃を受けた。ご親族の訃報と私の旅による不在とが3年連続で重なってしまったからだ。ご自宅にお電話して不在をお詫びし、概要の打ち合わせをしながらも、移動する車中において前夜式と告別式のメッセージをノートに作り始めた。それと並行して各地の名画と大伽藍を巡る旅は新しい出会いや様々な発見と学びを与えられ、無事に帰国。直ちに準備に励み、日曜礼拝に続いて葬儀が持たれ、多くの方々とともに故人を想起し、その信仰の生涯を分かち合うことができたと思う。全力で走り抜けたような2週間、少し落ち着いて受け止め直したいと思っている。
坂町坂だより NO.324
先日TVで山田太一氏脚本によるドラマ、「時は立ちどまらない」が放映された。録画しておいて日曜日の午後、夫婦して涙しながらじっくりと観た。もうすぐあの「3・11」が再び巡ってくる。早くも丸3年が過ぎ4年目を迎える。この間、被災地では何が変わったのだろう。
ドラマの筋立ては、あの日から5日前の日曜日、二つの家族が婚約の顔合わせをするところから始まる。大学出の才媛で市役所勤めの一人娘、彼女の家族は信用金庫の支店長の父と母と祖母、家族は高台に住んでいた。一方は浜に生きる漁師家族、祖父母、両親、長男と二男の6人家族。
彼女は漁師の長男の嫁として結婚を決意しているが、ただ一つ条件があった。女性の社会進出のために将来は政治家も目指したいというものだった。そのことを巡るやり取りのなかでドラマが始まるが、あっと言う間にあの日がやってきた。浜に住む家族は、祖母・母親・長男が亡くなった。片や全員が無事で、家も車も残った彼女の家族。そこからの展開は痛いほどのセリフのやり取りが続く。とても素晴らしいドラマに仕上がっていると思ったし、さすが山田氏の脚本であると思う。出演者の演技力も光った。彼らの語る言葉の一つ一つは、実際に被災し愛する家族を失った方々の腹の底から絞り出すような叫びを、作家が丹念に拾い集め、言葉にならない事柄を誠実に描き出していると思った。
私自身これまでに20回ほど岩手に足を運んだが、2年目になってもドラマに出てきた鋭い叫びのような言葉を何度もぶっつけられ、また生と死を分けた圧倒的な体験を聴き、その重さの前にただ佇むだけであった。恐怖のような叫びと無言の涙や呻くしかない思いのほんの僅かな部分を聴くことができた。しかしそれができたことを感謝しようと思う。
あの時期、久しぶりに再会すればほとんどの場合誰もが「ハグ」をしていた。日本人の習慣にハグは余り馴染みがなかったように思われる。だが誰もが弱さと深い寂しさを抱えて生きているのだ。自分たちは尚も生かされていて、生きて再会できた、そのことが圧倒的な事実なのだ。先のドラマのなかでも「ハグ」は大きな要素になり、共感と共苦を象徴するものとなる。来る「3・11」の『遺体』の上映会、新たな思いで4年目を迎えるために、共感と共苦の祈りの時としたい。
坂町坂だより NO.323
立春寒波のために一度延期していた庭木の剪定作業。その間に大雪が2度も降り、それがまだ残っていたので再度延期を提案した。しかし作業を担って頂くA兄夫妻は実施を希望されたので、足場となる庭木の周囲の除雪を完全にして当日を迎えた。
ご夫妻は70歳前後であるが、植栽剪定のセミプロである。農大の生涯学習講座を受講し、世田谷区の小中学校などの庭木の剪定作業をボランティアで行う活動を続けている。ティームに分かれて分担して行うそうだが、かなりの高木も剪定されるという。昨年から教会の雑木や植栽、多磨霊園の教会墓地の植栽剪定の作業奉仕をお願いしている。教会員のA兄は音楽活動も熱心なご一家であるが、剪定現場での出で立ちはまさに職人そのもので、地下足袋、いのち綱、腰帯の道具類が大変様になっている。伸縮型の梯子、脚立を持参され、高所に登り、次々と枝や幹を切り落とす。下ではそれらを受けて、小枝類をより細かくして袋に収めてゆき、大きめの枝や幹は切り分けてまとめてゆく。
夫唱婦随ならぬ「婦唱夫随」の大変円満な関係に見えるが、その理由は先に夫人が植栽の講習を受けて卒業し一日の長があるとのこと。下からどの枝を切り、どうバランス良く治めるかを指示されながらの作業である。私たち夫婦もそれなりの格好しながら小枝を細かくし、まとめてゆく作業に精を出す。4人で午前中の3時間半みっちりと働いて、柿の木の高い部分、紫陽花の枯れ株、いちじくの幹や枝の7割を剪定した。実はいちじくには大スズメバチがやってくる。小さなお孫さんたちが家族で引越してきた隣家に近い部分はすべて切って頂いた。物干しから高枝鋏で収穫できる範囲を残して極めてスッキリした状態に。隣家にも、牧師の書斎にもこれまで以上に日が当たり明るくなるだろう。
延べ14時間の労働と作業分担により剪定は無事終了。快い達成感と和やかな昼食を共にした。結果70Lのゴミ袋6袋に小枝等が収まり、焚きつけになりそうなかなりの量の幹や枝が出た。6袋は翌日収集車に、幹や枝は近所のO家が喜んで引き取ってくれた。O家にはこの新宿にも関わらず立派な薪ストーブがある。時々使われるとのこと。まさに焚きつけにもなり、資源として無駄なく用いられることが大変有難い。
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